2008年12月16日火曜日

名言

『師は又、画に就いても一種の見方を持っておられた。「俗な画が好きな奴は俗なやつだ。この画の俗さは見ていて胸がわるくなる」「この浅薄な甘さ、はきたくなる」「この何もないくせに、ありそうに見せようとするもがき方」しかしいいものを見ると随分感心された。「さすがに一生を画に捧げた男のかいたものだ。俗なところが少しもない。まじりっけがない。こっちの心にじかにふれる。こうならなければ本当ではない。不思議に人の心を清め、生々させる。そして万物にたいする愛を深める。美と云うものは不思議なものだ。美を意識でつくり出そうと思うものは馬鹿だ。美を感じるのはその人の心の深さに比例する。多くの人は美をかこうと思って綺麗ごとをする。しかし其処に心ない、人間の浅薄さが露骨に見える。本当の美のわかるものは、無限の深さに触れる。~」』【『幸福者』武者小路実篤 P57より】

この文章を読んで、本当の美を心から体感できるようになるには、日々の積み重ねが大切なのだと思った。
音楽、文学、絵画、書道、茶道など、商売、職業、金銭、人間のまやかしに惑わされることなく本当のものを選んでいきたい。

2008年12月8日月曜日

レッドクリフ (赤壁)

上海から広島に帰り、日曜日父親とレッドクリフを見にいくことにした。父は三国志大好きでさらにここ数年中国語学習続けており中国にも興味を持っている。自分が三国志に最初に興味を持ったのも、大学生のころ父にもらった文庫本の三国志からだった。

日本では『レッドクリフ』というタイトルだが、本場中国では『赤壁』というタイトルで2か月前に放映されており、中国語で映画を見ることは少ないが、総製作費100億円のジョンウー監督の大作ということで見に行った。言葉は一部分からない所はあったがダイナミックな映像とストーリーに魅了された。日本に帰ったら改めて翻訳ありで見てみたいと思っていた。

これまで父と映画に行ったことは無かったが父と自分は中国が共通点の一つで、お互いこれは絶対見たい!という一作なので初めて一緒に行くことになった。「(今ではガラガラだけど)昔はあの映画館は人でいっぱいだったけど、テレビやネット、他の娯楽ができてどんどん客足が少なくなったんじゃろうのぉ。」というような話をしつつ、家から徒歩15分の映画館に向かった。

話の内容は、西暦200年魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権、の三国が統一を目指し戦いを続けたの戦国時代、巨大勢力となり皇帝をも支配した曹操に対し、劉備、孫権両軍が力を合わせ赤壁で曹操に対向するという赤壁の戦いを題材にされている。

この映画で一番学べるところは、組織、個人が抱く大義名分、志の重要性だ。映画の中では曹操(悪役とされている)は孫権の武将周瑜の妻である絶世の美女小喬を手に入れたいという私的な野望を抱いているのに対し、劉備、孫権は民のために、民を守るために闘わなければならないという志を持っている。数では曹操軍が圧倒しているが、劉備、孫権軍は民を守るという大義名分の下集まった凄腕の武将が集まっており質で曹操軍を上回っている。決着はPART2へ持ち越しだが、大義名分、志の差が戦いの結果となっていくだろう。

PART2は中国では恐らく1月ごろ、日本では4月に公開の予定だ。公開と共に見に行きたい。

上海の国際食品展示会

中国最大の食品展示会FHCChina2008を見学してきた。アメリカ、カナダ、メキシコ、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、キプロス、ドイツ、ベルギー、アイルランド、ニュージーランド、オーストラリア、スリランカ、エクアドル、インド、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、韓国、台湾、香港、中国、そして日本。世界中の国の食品メーカーが上海新国際展覧中心に会した。

大学生だった2005年愛知万博を見学した時、世界中の国のパビリオンを各国のハンコを集めながら周り、世界にはこんなに知らない国があるのか。と驚いたが、今回の食品展示会も多くの国を一気に体感でき、食の万博だな!と思った。

日本のコーナーには、農林水産省の呼びかけで集まった全国の食品メーカー(お酒、お菓子、海鮮、お茶、味噌、ソースなどなど)のブースが並んでいた。来場者はただの試食目的という人が多かったように見えたが、とにかく規模が大きい展示会場で世界中のメーカーが参加しているので、有力なバイアーがいる確率も高そうだ。

欧米諸国、アジア諸国のブースを回り、日本ブースに来てハマチのお刺身などいくつかの食材を試食させてもらいやたら落ち着きを感じたのは、やはり日本で産まれた自分には日本食が合うなと感じると同時に、中国でこれらの食材を食べる人は、自分のような“慣れ”から来る食欲ではなく安全性なのか、薄めの味わいなのか、値段なのか、何を求めこれらの食材を購入するのかが大変気になるところだ。これまで日本の食材を中国へという2国の関係に関心があったが、欧米、アジア諸国も日本同様に国を挙げて中国市場を目指しているようで、食ビジネスでも世界の市場となっていく中国を感じられる。

見学後、日本に一時帰国するため浦東空港へ向かった。この展示会場は浦東空港とリニアモーターカーで直接つながっている龍陽路という場所にありとても便利だった。15時15分に展示会場を出て、15時30分の浦東行きリニアモーターカー(40元)に乗ると15時37分には浦東空港に到着できた。自分以外にも世界各国から来たビジターも、この便利さには驚いたのではないだろうか。2010年の上海万博に向けて、世界からお客さんを呼び込む準備は着々と進んでいるようだ。

17時35分の広島行き飛行機に乗り、1時間50分後広島に到着した。リニアモーターカーに飛行機、交通の発達のおかげで広島が本当に近く感じられる。到着後広島空港から広島駅行きのバスに乗ると「今日は六本木一日歩き回ったんよぉ~。(東京に出張のとある女性)」と、横から聞こえてくる広島弁を聞き心がほっとした。

2008年12月4日

2008年11月19日水曜日

二つのうれしい知らせ

母校の野球部がもしかしたら!?甲子園に初出場できるかもしれないというニュースを妹からメールで教えてもらった。

以下中国新聞より
21世紀枠宮原 県高野連が推薦
宮原は今秋の県大会で強豪を連破し、中国大会に初出場県高野連は、県内一狭いグラウンドや短い練習時間を乗り越えて好成績を収め、学業成績も優秀などを推薦理由としている。中国地方の推薦校は12月15日に中国地区の理事長会議で決定し、来年1月26日の選考委員会で甲子園出場の3校が決まる。


近年の宮原野球部の快挙については改めてじっくり書きたいが、これは本当に快挙だ!まだ出場が決まってないし、もしかしたら残念。ということもあるかもしれないが、この時期にこの出場の可能性を持てているということだけでも野球部史上前代未聞だ。果たしてどういう練習を積んだのか、部員一人一人がどういう心持ちで毎日練習をしているのか、彼らから学ぶことはとても多そうだ。高野連から「出場おめでとうございます!」という電話が宮原高校にかかってくることを祈りたい。

その朗報に続き、野球部で一緒に汗を流した球友からうれしい知らせが入った。

以下メールを勝手に転載
久しぶり!!最近どうですか?ちょっと報告ありましてメールしました。3月14日に結婚することが決まりました。場所は京都です。中国おるけんこれんのんかなとは思うんじゃけど、年明けくらいに実家に招待状送らせてもらいます!!

川口(のん君)とは高校三年間野球部で日々を共にした。野球部時代ののん君はノックではエラーが目立ち監督のカモになり徹底的に鍛えられることが多々、持久走では体力が続かずなかなか上がれないなどなど、楽しく練習を消化できずで一度は辞めそうになった。しかし持ち前の愚直でまじめな性格で、きつい練習に耐えどんどん上手くなっていった。彼の練習に挑む態度に自分も勇気づけられていた。高校卒業後は大学に進学し、一浪をした自分はのん君が通う大学へ進学することになり、大学も一緒といううれしい偶然で大学時代もたまに京都で会っていた。卒業後は、呉の音戸にある広島を代表するちりめん漁を営むの水産会社に跡取りとして入社し、毎朝4時前に起き、瀬戸内海でチリメン漁をしている。毎朝まじめに漁に出る姿は、毎朝まじめに朝練に遠い音戸からバスに乗り通っていたのん君の姿から想像できる。

のん君が結婚!何とも信じられない気持だけど、大学からつきあっていた彼女と結婚まで到達した成り行きについては呉に帰った時じっくり聞きたいと思う。3月14日京都になんとしても行きたいので、これから日程を調整していこうと思う。

「宮原高校おめでとう!」「のん君おめでとう!」この二つの「おめでとう!」が言える日がとても楽しみだ。

福井県小浜市の「オバマ候補を勝手に応援する会」について

福井県の小浜市で「オバマ候補を勝手に応援する会」を発案し、運営されている方にお会いする機会があった。「オバマ候補を勝手に応援する会」とはアメリカ大統領オバマ氏と小浜市の名前が一緒であることを巧みに使い小浜市を世界にPRしていこうという活動だ。

正直今年の6月この活動のことを小浜市のお知り合いの方から教えていただいた時は苦笑してしまい、そんな活動して意味があるのだろうか?と思ってしまった。しかし、今日実際にそのブームの火つけ人の方のお話、実際にこの活動を実施しての小浜市への効果を聞き、この活動はとても意義があるように思えた。

確かに一部ネットではそんな馬鹿けがことをという批判意見もあるが、オバマ氏が大統領であるこれから8年で小浜市は注目され続けていること。オバマ大統領と麻生首相との10分の電話会議の際小浜市にいつか訪問すると宣言したこと。オバマ氏が30分小浜市に来ることで20億の経済普及効果を発揮する可能性があること。オバマ氏関連グッツが小浜市のお土産として発売されていること。世界中の有名メディアが小浜市を取材し始めていること。スイングガールやウォーターボーイズのような映画化の可能性があること。などなど明るい話題で盛りだくさんだそうで、小浜市全体に良い影響を多く生みだしている。

地方活性化で代表的な先日訪問したただの葉っぱを2億円のビジネスに変えた徳島県の上勝町や、大分県で1970年代に実施された平松県知事の一村一品運動の本を読んだ時も感じたが、「何気ないアイデアを少しずつ大きくしていく」というひた向きな姿勢を今回の小浜市の活動からも感じらえる。MROBAMA(オバマ氏)⇔小浜市(おばまし)というただ発音が一緒という何気ないアイデアからスタートし、様々な知恵を絞ってアイデアを少しづつ大きく育て多くの人を巻き込み社会にインパクトを与えている。

今後の様々なビジョンを笑顔で明るく話されているアイデアの発案者の方の姿を目の前で見れ、ブームを作る渦潮の渦の中心を体感できた。そして、小浜市に見習い、何気ないことを何気ないことでとどめず頭を使ったひたむきは生き方をしていきたいと思った。今後の福井県小浜市の動きにも注目だ。お食事同席させていただきありがとうございました。

2008年11月17日月曜日

河南省の友人からのうれしい贈り物

今年の夏上海で河南省出身の莼(CHUN)という友人と知り合った。たまたま食べにいった上海の泰康路にあるタイ料理レストランがありそこでアルバイトをしていた時、とても丁寧に対応してくれ、いろいろ話をしたことが知り合ったきっかけだった。

お父さんがロシアで仕事をしていたそうで、本人も10歳までロシアに住んでいたため中国語は自分同様独特だが、ロシアの話や、信仰しているキリスト教の話、趣味でやっている作詞の話、河南省の少林寺の話などとてもおもしろく、上海にいる時は、一緒にセミナーに参加したり、杭州で遊んだり、仲良くしてもらっていた。

残念ながら大学に進学するため、夏のアルバイトを終え10月に河南省に帰ることになったが、連絡を取り合っていたら先日、「河南省の特産物がたくさんあるから送るよ!」と電話がかかってきた。少し申し訳なかったが、せっかくの気持ちなので贈ってもらうことにした。早速一箱の荷物が届き郵便局に荷物を取りにいった。

うれしい重みを感じつつ、家に帰ってダンボールを開けてみると中にはたくさんの河南省の特産物が入っていた。うれしい贈り物だ。これから少しづついただこうと思う。また、機会があれば河南省(特に少林寺)に行ってみたいと思う。

2008年11月8日土曜日

前澤友作氏

PODCASTの好きな番組『藤沢久美の社長トーク』の前澤友作氏のインタビューがとてもおもしろかった。ZOZOWALKERなどファッション関係のウェブサイトを運営する会社で昨年マザーズに上場も果たした社員の平均年齢が25歳という会社を経営されている社長さんだそうだ。

おっとりとした落ち着きのある声で、名刺に社長と書かないとか、心の無いお金はただの紙切れだと思うとか、今後は千葉県の地元の活性化に役立つ仕事をしたいとか、世の中の不の部分が無くなる社会システムを作りたいとか、言葉一つ一つに心が落ち着けられた。その後書かれているブログも一気に全部読んでガツガツ生きようとしていた自分を冷まされる感覚で体から力が抜けていくようだった。

大学時代や仕事を始めて、「世界に平和を!」とか「日中友好を!」とか「お客様に積極的に感謝しよう!」とか「社員の満足とは何か考えよう!」とか「四川地震に500万元を寄付しました!」とか「企業の社会的責任CSRがこれからの時代大切だと思います!」という「良い言葉」は日常で度々耳にしてきた。そして大抵良い言葉だなと感じる自分と同時に心のどこかでそんなこと言ってただ自分に有利に働かせようって打算で綺麗事言ってるだけじゃないの、理想ばっか掲げて。と少し斜めに構えてしまう自分がいた。今日前澤氏のインタビューとブログを見ていると、なぜ斜めに構えてしまっていたか理由が分かった気がする。

それは自分の今ある理想と現実の乖離から感じる焦りとか、自分にメリットがあるように物事を運びたいという私利私欲とか、ビジネスで成功したいっていう野心とか、まだ若いし経験も少ないから自信が無く目立たないところに隠れていようという羞恥心のような気持ちにまみれてしまって、自分の本当の正直な好奇心やいいなと思うことを第一に生きられていない、綺麗な言葉を綺麗事でしか使えない自分だったからだと思う。このインタビューを聞いてハッとしてしまったのはきっとそういうことだ。

前澤氏のインタビューやブログには「世界を変えたい」、「100年後どうなってほしい」と「綺麗事」がたくさん出てくる。ただ、本気に正直にそれを想い言葉にしているようで綺麗事に聞こえなかった。これからはちょっと思考を修正していこうと思う。そうなりたいって正直に想う自分の気持ちを強く抱き続けたい。そしたらそこからその気持ちが育ち自分でも鳥肌が立つようなビジョンが描けてそれに向かって生きれているような気がする。焦りや私利私欲や野心や羞恥心にまみれそうになったら、右手の人差し指を目の前にし、目を閉じて心を静め、好きなジブリ映画『ラピュタ』のワンシーンある飛行石の光がラピュタのある方角を示すように、自分の正直な気持ちはどこに向かっているか確認したい。

2008年11月2日日曜日

上海のナイトクラブ

大学時代、大分にある立命館アジア太平洋大学(APU)を見学しに行った時、食堂で中国人のファンファンという留学生と知り合った。そしてAPUの留学生の現状をいろいろ教えてもらい連絡先を交換した。だがその後これと言って話題も無く、距離も離れていて会うことはなかった。しかし最近ファンファンから「上海で働いているの?私も上海で働いているよ!」とメッセージをもらい早速大分以来の再会を上海で果たすことになった。

中国人だけどカナダ産まれでご両親は今でもカナダに住んでいる家族柄のため大学卒業後は得意の英語を駆使し上海にあるオランダ系の外資系銀行で仕事をしている。近頃は昨今の金融不安で毎日朝9時から夜遅くまで忙しい日々が続いているそうだ。再会の日は自分は温州へ行かなければならなかったので珈琲屋で1時間程話してまた今度会おう!ということで別れた。

そして昨日再び食事することになり再会した。ファンファンおすすめのおしゃれなバーへ行きお酒を飲みつつお互いのこれまでについてを中心に話した。その後ファンファンの会社の友人が別の場所でパーティをしているのでそちらへ合流し、しばらく過ごしさらに別の場所で別の友人が集まっているという情報が入り上海の中心地にある若者の人気スポットbabyfaceというクラブへ向かった。自分は毎週クラブへ通ってダンスをしたり、クラブミュージックをよく聴くという趣味はこれまで無くクラブにはごくたまにしか行かないのでbabyfaceに行くのも上海留学時代ぶりだった。

到着するとそこには中国人や色々な国の若者がごったがえしている。超満員のダンスホールの中を合流したファンファンの友人5人と共に入って行きテーブルをキープした。そしてお酒を飲み明け方まで大勢の人の波と音楽に身を任せ踊っていた。おもしろかったのは様々な人がそこに集まっていたことだ。ファンファン同様外資系銀行で働く中国人、上海の都市デザインの会社でインターンシップをしているオランダ人、韓国生まれでオランダへ留学してから上海で仕事をしている中国人、ABC(アメリカンボーンチャイニーズ)としてNYで生まれ現在は上海の大学でMBAの取得を目指している中国人、同じく上海でMBAを勉強中のドイツ人、大学で日本語を勉強し日本語がペラペラな中国人、中国語、つたない英語、日本語を使い、「日本生まれで上海に留学し中国で働いている日本人」としていろいろな背景を持った人と知り合うことができた。

音楽やダンス、お酒を飲むことを楽しむ以外にもクラブには出会いという楽しさもあることを知れたので、また機会があれば行ってみようと思う。上海のクラブで人気な曲「我愛台妹」(台湾の女の子が好き)は大好きな一曲だけど、この曲以外にもこれからいろんなクラブミュージックを聴いていきたい。また、上海の友人がヒップホップダンス教室に通っていてとても楽しいと言っていたのでチャンスがあれば時間を作って行ってみようかなと思う。そうしたら更にクラブを楽しむことができそうだ。楽しい上海の一夜だった。

2008年10月29日水曜日

働く報酬とは何か?

『ラジオの街で逢いましょう』で田坂広志さんが仕事の報酬について話されていた。出版された著書『仕事の思想』についての説明をしており、働くということは、生き残りのためでも勝ち残りのためでもなく、もっとすばらしいもののためではないか。すばらしい何かのために働いているのではないかということを伝えたいので出版した。また、仕事の報酬には、目に見える報酬と目に見えない報酬があると考えている。という内容だった。この目に見える報酬と、目に見えない報酬という分け方は参考になる整理の仕方だった。

●目に見える報酬
例えば:お金、役職、年収、地位
特徴:ゼロサムなもの、数に限りがある
獲得の方法:結果としてついてくる報酬

●目に見えない報酬(究極)
例えば:仕事の働き甲斐、職業人として腕を磨く、人間としての成長を実感すること(心が満腹になる感覚)、人間との出会い
特徴:ポジティブサムなもの、みんなで増やせる
獲得の方法:自ら求めて得るべき報酬

マズローの五段階仮説で言えば、
(第1段階: 生理的欲求
 第2段階: 安全・安定の欲求
 第3段階: 所属・愛情欲求/社会的欲求
 第4段階: 自我・尊厳の欲求
 第5段階: 自己実現の欲求)
目に見える報酬が、第4段階(他人から尊敬されたいとか、人の注目を得たいという欲求で尊厳の欲求ともいわれる。名声や地位を求める出世欲も含まれる)に相当し、目に見えない報酬が第5段階(各人が自分の世界観や人生観に基づいて自分の信じる目標に向かって自分を高めていこうとする欲求のことで、潜在的な自分の可能性の探求や自己啓発、創造性へのチャレンジなど)と言えるだろうか。

対談の最後には、資本主義が主流の世の中ではここ数年、目に見える報酬を重視する傾向に見られたが「私は資本主義はいつの日か(今のように主流ではなくなり)エピソードのようにして語られると思っている」と豪語されていた。

確かに、前のブログで紹介した金融セミナーに参加し、資本主義の象徴であるこれまで世界の金融、経済の中心だったアメリカが衰退していっている今の世の中、世の中無常で永続的に続くものなんて無いんだなあと実感させられた。これから資本主義に代わって新しい何かが生まれるかもしれない。自分はまだまだ目に見える報酬も見えない報酬ももらえるものならどちらでもほしい。っていうのが本音なくらいのレベルだが、これからの時代、目に見えない報酬が重要視されるのではないかというこの考えを頭の片隅に置きながら仕事をしていきたいと思う。

2008年10月26日日曜日

第一回上海大会グローバル都市競争の時代 感想

上海の上海環球金融中心(森ビル)で開催された第一回上海大会グローバル都市競争の時代~経済成長と環境の調和を目指して~を視聴してきた。事前申し込みの際、申込みの期限を過ぎてしまっていて視聴できないはずだったが、参加している友人から「午前の時点で席に余裕があるから午後から今来れば入れるよ!」とありがたい連絡をもらえ、午後から視聴できることになった。これだけ「超」が着くほどの有名な講師の方々が上海で話すセミナーは上海では滅多に無いので期待を胸に今年ついに竣工した浦東の森ビルへ向かった。テーマはサブプライムに端を発する世界金融不安の中、これから日本と中国はどういう方向で進んでいくべきか。ということが中心だった。

中でもおもしろかったのは最後に設けられたパネルディスカッションだった。
以下、備忘録として書いておく。
※( )に人物名を入れているのはその方がそのまま話した内容ではなく、その方から自分なりに学んだことを書いているので、詳しい議事録などはNHKインターナショナルや日経新聞社などが出すであろう議事録を参照されたい。


テーマ :「国際金融都市の条件」パネリスト :森 稔氏(森ビル 代表取締役社長)
宮内 義彦氏(オリックス 会長・グループ CEO)
斉藤 惇氏(東京証券取引所グループ 代表執行役社長)
胡 汝銀氏(上海証券取引所研究中心 主任)
モデレーター :竹中 平蔵氏(日本経済研究センター 特別顧問慶應義塾大学 教授・グローバルセキュリティ研究所 所長)


≪サブプライムの発端≫
■ウォール街発の透明度が分からない(ウォール街の金融業社の人ですら分かりにくい)金融フォームや金融業社が利益を上げたいというインセンティブで信用力の無い人に押し付け社会に過度に創造された「富」がサブプライム問題を引き起こしウォール街のイメージが壊れていった。(斉藤氏、胡氏)

≪これまでのアメリカ中心の経済システムが壊れつつある≫
■アメリカが金融の中心のためアメリカ企業の高収益性が保て→それによりアメリカ市民の購買力が高まり→海外からの輸入が増える→日本や中国など海外の外貨準備高が増え→またそのお金がアメリカに流れるというお金の流れだったが、それが崩れアジアを始め全世界にその影響を及ぼしている。崩れた金融システムは再び元には戻らないだろうから新しいシステムを作りなおさないといけない。(宮内氏)
■金融と実体経済は例えば鉄鋼業界、携帯業界、食品業界と業界ごとにルールがあるが、金融とはあらゆるものに張り付いているものでさらにグローバルに広がっているもの。そのため世界共通の管理体制を引かなければならない。しかし現実問題各国の当局の動き「私の国は他の国と違うんだ」と言い合い国境の壁がある。(宮内氏)

≪アメリカではない金融都市の待望が望まれる。日本や中国が世界の金融の中心になれないか?≫
■ウォール街のように金融技術を高めるのでなく実態経済の実力を高める金融システムが望まれる。(宮内氏)
■自分の国だけ儲かればよいという時代ではなくグローバルに考えていかなければいけない。(斉藤氏)
■日本と中国の外貨準備高は合計で3兆円~4兆円近くあるがほとんどがドルで貯金されたもの。日本や中国独自の金融市場を発達させて、アジアの通過を世界に使わせるべきではないか?莫大な金融市場を持つ日本や外貨準備高の高い中国、また石油産油国などお金の蓄積ある国(マザーマーケット)が引っ張っていく今こそチャンスであり、責任を背負う時ではないか?(宮内氏)
■上海には30年住んでいるが、アメリカンスクール、イギリススクール、日本人学校など教育機関は充実している。空気や安全はまだ問題はあるが数年もすれば解決するだろう。グローバル企業の人が上海に赴任すると15%給料を上乗せされるので待遇面もいい。中国人は昔から、日本や韓国と違い、外国人を受け入れてきた。実際その証拠にオリンピックを成功させている。上海人の若者は英語しゃべれる人が多い。(胡氏)
■上海にするか?東京にするか?というゼロサムな議論ではなく、WINWINゲームを考えるポジティブサムな議論が必要ではないか?上海、香港、東京などなどアジアの金融機関の長所を生かし、24時間体制で対応できる新しい証券取引所を作ってもいいのではないか。(馬氏)

≪日本は世界金融の中心になれるか?≫
■資本主義である以上、自分の国を金融センターにしたい都市が無いはずがない。日本はこれまで円が安くならないと不況になる(円高不況)言われていたが、日本には強い産業があるので円はもっと強くできるはず。円が強くなるから日本の景気が良くなるという流れにしなければならない。国際金融センターになるには成田空港が都心から遠いなど問題はあるが、一つ一つ解決していけば日本はきっと大丈夫だ。(斉藤氏)
■金融センターになりたいと言うには、相当な覚悟がいる。政治、中央銀行が揃っていないと危ないのではないか。あのアメリカやロンドンですらこのような事態を引き起こしたことは肝に銘じるべき。(宮内氏)
■世界金融センターはアメリカ、ロンドンが数百年に渡って務めてきたが、背景には様々な「自由」があった。日本も「自由」な国にチェンジするべきだし今こそ挑戦する時だ。そうしなければ現在のままの(アメリカ依存型の)ビジネスはこの先持たないのではないか。日本を世界の金融センターにする。という夢と覚悟が必要だ。また、日本はそれだけの責任を負うべき国なのではないか。「自由」を創るために例えば東京だけを特区にするとか方法を考える。(斉藤氏)

≪金融都市はいかにして作るか≫
■金融とは人材獲得競争とも言える。そのため金融TOPの人が求めているものに応えられる住みやすいと思える国を作れるかが重要。それは仕事に限らず、娯楽、健康、教育と多岐に渡って考えなければならない。上海は海外の人からどのように見られているかまだ分からないが、東京は行きたくない国と一部では見られていることは事実。都市がヒートアイランド現象を起こしてしまっている。(森)

≪今後について≫
■観光と言えば富士山を見るとか温泉につかると言った自然を思い浮かべるかもしれないが、外国人が日本に旅行する時、東京にまず行くように実際は都市観光こそ観光だと思う。都市である東京も上海も観光客の受け入れが足りない。大きな文化産業なので伸ばしていきたい。あ、あと上海万博跡地とかを有効に活用させていただきたい笑(森氏)
■今回のアメリカの金融危機と同じ過ちを繰り返さないためにも、中国、日本はローカルな金融市場の発展が重要。アジアにおいて極めて重要なポイントである。(馬氏)
■日本の東京、大阪、京都などの都市は数百年の歴史の中で、権利意識は強いが、対立しないように発展してきた分厚い都市になっているので外国人は住みやすいのではないかと思うので排他的な、輸出立国円安OKという日本はやめるべきで、日本人はこれまでの蓄積をどんどん使うべき。円高が良いと言える経済を作るべき。そうしなければ次の世代の未来が無い。(宮内氏)
■日本と中国の歴史は遣唐使の時代にさかのぼる。今の日本の奈良を見れば長安を思わせる。戦争という歴史はあるが、長い目で全体の流れを見れば二国の関係は良いものと言えるのではないか。日中関係は相互補完関係になり、例えば日本の建設の細やかさとか中国にどんどん入れてほしい。(胡氏)
■現在実際にパンダーという商品名で東京と上海で具体的なビジネスを始めていることを知っていただきたい。1500兆円もあると言われている日本のお金で中国の新興市場に投資していきたい。東京の金融市場は英語を使わないことが一つの問題であるが、これからロンドンとともに英語を使った取引所を作るので英語の壁は取り払われていく。(斉藤氏)

≪竹中氏総括≫
■20年前バブルの時代、東京が金融中心になるべきではと思っていた。その際、金融都市とは何だろうと考えたが、以下三つが該当した。①場所貸し的な使いかっての良い国(ロンドンがそれで、香港、シンガポール、ドバイ、アイスランドなどが続いた)②国内に強い金融機関を持っている(ドイツのフランクフルト)③①、②を両方持ち合わせている。しかし、今ではこういった色分けは意味が無くなっている。今までの金融機関の在り方自体が問われてきている。日本や上海には新しいあり方を示す責任とチャンスが課されている。
■アジアはこれまで雁行型経済(日本の後を韓国、中国、ベトナムが追いかける)だったが、これは崩れ、カエル飛び型経済(ITでは韓国が、英語教育では中国がリードしている)に変化している。形は変わっているが、いずれにしても、国や個人の交流は大切。特に知的な交流はとても重要なのでこれからもこのような機会は設けていきたい。(竹中氏)


自分として特に印象に残った感想は以下
■日本と上海はこれからアメリカやロンドンに頼らず自分たちで金融システムを作っていく必要がある。
■携帯事業とか鉄鋼事業とかの実体経済は各事業ごとでそれぞれの規制が作れ、比較的管理しやすいが、金融はどの事業にもくっついていおり世界に広がっているため影響力が大きい。
■森ビルとしては14年かけて浦東に上海環球金融中心を作ったが、実際上海が思った以上に金融都市にまだなっていないため少し焦っている。
■日本は世界を代表する金融センターになるべく、国をあげて努力していかなければならない。そのために、外国人が住みたくなるような国作りが大切。金融センターになりたいというのは中国も同じように思っているので、そこで中国⇔日本と張り合ってしまわず、アジアのリーダーとしてWINWINの道をさぐるべきでは?

正直なところ金融の世界はまだまだ理解しきれていないので、議論についていくことでやっとだったがこれだけ国際金融のことを一日で学べたことは大変価値があった。また参加者にはもれなく、日経新聞出版社の『ビジネスプロフェッショナルの仕事力』が無料配布され帰り道で読んだが、今後世界はどうなっていくのか、何が起こるか仮説を立てながらビジネスを行っていくことが重要であることが中心に述べられており、こちらも勉強になる一冊だった。

Gメールから携帯へ絵文字が送れる

Gメールから携帯へ絵文字が送れるようになりこれから日本の友人とより楽しく連絡できそうでうれしい。詳しくはこちら

早速、「このアドレスからでも絵文字が打てるようになったよ(絵文字)」と久々の絵文字入りメールを家族や友人に送信。すると早速姉のドコモの携帯から見たこともないようなケロケロケロッピやアンパンマン、かわいい犬等バライティ豊かな絵文字メールが返ってきて、こんな絵文字見たことない!と驚いた。

仕事上ではさすがに使えないが、家族や友人との日々の何気ないメールだけど、自分の気持ちを表現しやすくなるし、楽しみながらコミュニケーションが取れるのでこれからどんどん活用していきたい。

通信手段が発達してくれると上海に住んでいるが日本との精神的距離が近くなるのでありがたい。これから更に海外で働きやすくなりそうだ。グーグルジャパンに感謝感謝。

2008年10月17日金曜日

温州へ 

急遽今晩夜行列車で温州に行ってみることにした。温州は実家の広島の呉市と友好港の提携をしており人の交流があり、温州人と言えばビジネスが上手いと中国人にも一目置かれておると聞いていたので、中国にビジネスをしにきたからには一度は見てみたいと思っていた。

その温州になぜ今日行くことになったかは、昨日たまたま「世に棲む日日」司馬遼太郎著を読み、主人公の吉田松陰が矯激な行動家だったということに触発されたからだ。

「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ずずれんと欲せば、先ず地理を観よ」(解説:まず地理的環境をくわしくみれば、そこに住む人間集団の大体がわかる。その人間集団ー社会の解明をはなれて、事柄というものは出てこない。ゆえに、社会と社会現象を見ようとすればまず地理から始めなければならない)
「世に棲む日日」司馬遼太郎著 本文より

この言葉にあるように、小説の中で吉田松陰は山口で生まれ、修行を積み大人になるとともに、佐賀、長崎、奈良、江戸、浦賀と自分の足だけで志を立て刺激を求め動きまくる。そしてそこから新しい情報を手に入れ、自分の志や知識と照らし合わせこれからの日本がどうなっていくべきかの提言をしていく。
その姿がとてもまぶしく、ロールモデルにしたいと思った。

温州で何が得られるかは分からないが、現実の社会を見つめ、現地の人とコミュニケーションをして、ここともし仕事ができるとしたらどういう感じになるだろうかとイメージをしながら、温州の街を歩いてみようと思う。20:40上海南駅発の夜行列車で温州には明日の朝6:00に到着する。

2008年10月16日木曜日

名言

「かたちは、心である。」

         玉木文之進(世に棲む日日 司馬遼太郎より)

書物のひらき方がぞんざいであったとか、両手で書物を掲げ、手をまっすぐにあげて朗読せねばならぬところを、ひじがゆるんでいたとか、形の上でのことを吉田松陰の第二の先生であり、形式から精神に入るという教育思想の熱狂的な信奉者、玉木文之進は吉田松陰に厳しく教えた。

本を読む姿勢とか、人の話の聴き方とか、ご飯の食べ方とか、誠意を持って挑めて無い時の自分の姿を思い返すと確かにそうだと思える一言。

ぬるま湯のカエルにならないために

大学の頃の後輩と久し振りに会うことになり、人民広場へ向かった。彼とは、学生時代に活動していた学生団体がきっかけで知り合い、かれこれ3年の仲だ。今は上海に留学しているが、普通の留学では物足りず、日本人留学生が少なく、モンゴル人の留学生が多く在籍する大学に転校し、アジアで活躍できる人になるという目標に着々と進んでいる。

数か月前同じく彼と食事した際、二人で見つけたウイグル料理屋に再び行くことになり、羊肉の串焼き、羊肉の炒め物、リンゴの砂糖飴炒め、卵とトマトの炒め物、ウイグルビール、などおいしいウイグル料理とビールをおかずに話が盛り上がった。

活動している学生団体のこと、今年の夏に実施した学生イベントの感想、団体メンバーのこと、思い出話、留学の話、今の悩み、仕事の内容、将来のビジョンなどなど、数か月合わなかった間にお互いに起こったこと、思ったことなどを高速でお互いインストールするかのように話し込んだ。

その後、外灘のバーへ。以前中国人の先輩に教えてもらったこのバーは、場所が一等地なだけにお酒の値段は少し張るが、これぞ上海という外灘が一望できる景色が楽しめるのでお気に入りの場所だ。ここでも、引き続きそれぞれの想いを話した。

今日の話で一番印象に残ったことは、「上海や世界に出てみると、日本がとても小さく思える。これからアジア各国が更に力をつけてくれば、この感覚は更なるものになるだろう。」という後輩の言葉から始まった日本のこれからはどうなるのか。日本人の自分たちはこれからどうして生きていくべきなのか。ということだった。先日、上海の大手日系企業で上海駐在されている50代の方とお話をする機会があったが、その方も同じように、「日本にいた時は自分の会社はものすごいと思っていたが、いざ海外に駐在で出てみると、自分の会社がほんのちっぽけなものでしかないということを知ってしまい、その企業が一生自分をお世話してくれるものだと思っていた自分の考えを改めた。」と話されていた。

日本にいると、あらゆる分野で整備や整理が進み、良質で安全な商品やサービスを受けられ、平和な生活に身を包まれ、つい向上心を奪われてしまう。しかし、上海に来るとヒシヒシと発展を遂げ、巨大都市上海に成っていく現実を目の前にし、残されないように頑張らないと。と思わされる。ぬるま湯に浸かっているカエルはそのままお湯の温度を上げていっても気持ち良くてお湯熱くなったころにはそのまま死んでしまうが、熱湯にいきなり浸かったカエルは熱さに驚き飛び出て命を救われると聞いたことがある。豊かで平和な日本はこのたとえ話のようなぬるま湯気持ちよく浸かるカエルになりかねない。

明治の日本人がそうであったように、僕たち若者一人一人が、自分という存在はこの世に生まれてきた間にどんな旗を掲げたいのか熟考し、それが見えたら達成するためにひたすらに駆け抜けていき、「志の明治時代」と言われていたように、平成の日本はすごかったと語り継がれるように動いてみたい。決してぬるま湯のカエルになることがないように、日々向上心を持っていたい。

 写真はバーからの外灘の景色 森ビルが完成し、夜景がパワーアップしている。 

2008年10月15日水曜日

名言

平生業成【へいぜいごうじょう】

            親鸞

平生:死んだあとの来世ではなく、生きている現在という意味
業:人生の業、行為という意味。他力の信心を獲得すること。
成:成し遂げること、成就という意味。

生きている現在に、他力の信心を獲得すれば、往生が定まる。来世ではなく、今生きる現在を大切にしなさい。と言う意味らしい。不確定な未来や死んだ後に不安を持つより、一度しかない今をめいいっぱい楽しみたい。

2008年10月12日日曜日

あにゃん

一か月日本に帰るため、杭州の猫友達フォンさんにあにゃんを預かってもらっていた。『猫を預ける』先日上海に戻ってきて、週末に杭州に行きあにゃんと再会しに行くということになっていた。しかし、2日前フォンさんから「昨日からあにゃん、ミーミー、カーちゃんがいなくなってしまった。」とメールがきた。どうもフォンさんは最近引っ越したそうで、環境が変わったことが猫3匹が家出してしまったの理由のようだ。

あにゃんがいなくなってしまったことも気になったが、それよりフォンさんが溺愛していたあにゃんより1か月早く生まれた白の2匹の子猫もいなくなってしまいフォンさんもとても落ち込んでいるようだった。おとなしくて人形のような2匹であにゃんの最初の友達だ。

何はともあれ1か月も預かってもらったことのお礼を言いたく今日フォンさんの家を訪ねた。今は家には白2姉妹のお母さん猫と、もう一匹他の友人から一時的に預かっている猫しかいないこと、あにゃんがとても大きくなっておりフォンさんにとてもなついていたこと、これまでも白猫は何回か脱走しているが数日後にひょこっと帰ってきたことがあるのであにゃんも帰ってくるかもしれないことなどフォンさんといろいろ話をした。

もしあにゃんが帰ってきたらすぐに迎えに来る。この度いなくなってしまったことはフォンさんのせいでは無いので気にしないでほしい。と伝え、フォンさんと別れた。

夜、久し振りに杭州の部屋に帰ってきた。猫だから脱走してしまうことは仕方無いし、またいつか帰ってくるに違いない。そして何より辛いのはフォンさんだろう。と思い、いなくなってしまったことは割り切っていたが、あにゃんと過ごした部屋や、使っていた薬を見て寂しさが沸いてきた。改めてあにゃんが自分に与えてくれていた温もりのようなものを感じ、それが無くなりぽっかりと心に穴が空いたような感覚を覚える。

今はきっと市内のアパート群のどこかをフラフラ歩いているんだろう。5か月なので体は大きくなっているので生存能力も高くなっているはずだ。ただ、餌は食べられているか、病気に感染しないか、車に轢かれないかなど心配は多く無事を祈るしかない。早く帰ってきてほしい。

2008年10月11日土曜日

名言

備忘録として、心に残った、自分に取り入れたいなと思う名言のタグを作ることにした。


「多数の友人を持つはひとりの友も持たず」

            アリストテレス

ついつい八方美人になってしまう自分にはがつんと来る一言だった。

2008年10月8日水曜日

一休さん

『一休さん』最終回にこんなフレーズがある。

一休さん:「修行の旅に出たいと思っています。」

母上:「そなたはどうして旅に出たいと?」

一休さん:「お寺の中の修行はどんなに苦しくても所詮は和尚さんに見守ら同じ仲間に助けられての修行です。そのうえ新衛門さんや将軍様にも可愛がられ、母上にもこうして会うことができます。これでは幸せすぎると思うのです。生意気かもしれませんが、一度自分だけの力で冷たい風にさらされて修行してみたいと思ったのです。長いこと考えました。でもようやく決心がついたのです。」


何が一休さんをそう動かしたのだろうか?分からないが、立派な僧になりたい。まだ見えていない新しい世界を見たい。あと一歩踏み出せば悟れるかもしれない。和尚さんからは学び尽くして、更なる師を探して道を求めたい。などと思っていたのだろうか。

どういう理由にしろ、幼いのに自分に厳しく修行の道を歩み成長をしようとし、そしてずっと年上である新衛門さんを号泣させれる一休さんのこの姿はかっこいい!と思う。大学のころの友人と先日東京で飲んだ時、大学のころと違いまだ何も達成感や意義を感じられずうずくまってしまっていることを嘆き、自分たちは今はまだ修行の時期だから明日を信じて頑張ろう。と、鼓舞しあったが、修行できてるな。と自覚できる毎日を送れるよう自分を律していきたい。

2008年10月7日火曜日

一か月ぶりの上海

昨日上海に到着した。広島空港からわずか2時間、実家を朝5時に出発し、日本時間11時には上海にいる自分が何か不思議で改めて「行ってみれば近い国」だなあと思う。

市内への空港バスの中、切符を点検する乗組員女性の粗いサービスを受けたり、煙たい空気を吸い込むなど、以前までは当たり前と思い馴染んでいたが、日本で手厚いサービスを受けまた徳島県の上勝町や佐賀県の諸富町など空気の澄んだ田舎町に滞在していたせいか、それらの日本との違いについつい敏感になってしまう。

到着と同時に少しマイナスな面ばかり気になったが、バスで市内に出ると車で溢れかえる道路、行きかうたくさんの人々、活気ある建設現場の風景から、上海独特のヒシヒシと湧き上がるようなエネルギーを街から感じるような気がする。市内には「上海万博まで後600日!」という看板が多く見られるようになっており、北京オリンピックが終わりこれからは万博へ向け準備が着々と進みそうだ。

2008年9月28日日曜日

徳島県~上勝町~


『葉っぱで2億円稼ぐおばあちゃんたち』の著書など、地方活性化事例で有名な徳島の上勝町の農家に週末三日間泊まり込みで農業体験をしてきた。上勝町のことは、上海で徳島出身のお知り合いの方と地方活性化の事例について情報交換していた際、この街おもしろいよ。と紹介していただいたことがきっかけで知りいつか行ってみたいと思っていたのでその念願が叶った。

3日間、農作業を手伝う代わりに宿と食事を提供していただけるというワーキングホリデー形式での滞在だった。食事は自分の畑で採った野菜や果物や上勝町産の食材を使い健康的で美味しく、景色は天上から滝が流れる灌頂ヶ滝や綺麗な星空、壮大な山々など自然に囲まれており、心が落ち着く町だなと思った。

また、農家の生活を体験できたことで、上勝町の実態が理解できたくさんの人と出会えた。そしてそこでこの度の滞在で最も心に残る上勝町を見ることができた。それは、「町民の方々の上勝町への帰属意識が高く、自分の町に誇りを持ちながら生活していること」だ。

滞在させていただいていた農家のご夫婦は上勝町の多くの家庭に設置されているICTという情報通信器具を巧みに使い、テレビに流される上勝町の紹介映像を見せながら自分達の町を次々と紹介してくれたり、時間があれば上勝のいい所をまるで我が子を自慢する親のようにうれしそうに教えてくれた。また、2020年までに上勝町のごみをゼロにすることを目指す、上勝町ごみゼロ(ゼロ・ウェイスト)宣言で30分別以上のゴミの分別を実現しており、町民一人一人が自分達の町を綺麗にしようとしている。社会起業家の重要性を強調されている田坂広志さんが、これからの時代、一人一人が世界に貢献していくボランタリー経済という考え方が重要となる。と話されていたが、この町では、町への誇りに支えられている町民の方々のボランティア精神が町のエネルギーとなっているようだった。

上勝町を眺めていると、帰属している人が誇りを持てるような組織っていいなと思った。家族、会社、野球チーム、学校、そして国家など様々な組織で、この組織はこれからもうダメかもしれない。と暗い絶望感を帯びた気持ちで毎日生きるのではなく、この組織にはこんなすばらしいところがあるからこれからみんなでもっと良くしていこうと、自分たちの長所を見抜き、その長所が自分にやる気やエネルギーを与えそこをとことん伸ばす好循環が起こっている組織が日本や世界にたくさんできるといい。

2008年9月25日木曜日

愛媛県~松山市~

愛媛大学で毎年開催されるプロテインアイランドを見学するため呉からフェリーに乗り、愛媛県の松山港を目指した。19時に到着し、プロテインの研究を続ける高校の野球部時代の同級生が待つ松山市内へ向かった。

初日の食事は松山の海鮮やお酒が楽しめる食楽酒家 炉辺人(ろべんと)というお店へ。愛媛の地酒や鯵の刺身、愛媛風味噌の味噌汁、愛媛のお茶づけ「ひゅーが飯」など堪能できるいいお店だった。

翌日、午前中は司馬遼太郎著の明治の日本を描いた『坂の上の雲』の主役、秋山兄弟、正岡子規が生まれ育った当時の松山のことをもっと知りたいという気持ちで、『坂の上の雲ミュージアム』へ向かった。世界で渡り合える日本を確立するために必死に生きた明治のエネルギーを感じられる場所だなと思った。

その後、プロテインアイランドを見学。(詳しくはこちら)「これからはタンパク質は注目されるよ!」と言う研究を続ける友人の言葉に魅かれ参加したが、医療部門での応用が増えていること、需要あって初めて開発を進めることができるため需要を見つけ出せる企業との連携が重要視されていること、食品分野への応用は少ないこと、愛媛県はタンパク質を使ったベンチャー企業が生まれることを渇望していることなど表面的なことを何となく分かり、100メートル先にあったプロテインという存在が90メートル先になったかなという感じだった。

学会後、明日の教授や学生向けに開催される学会の準備を終えた友人と合流し道後温泉に行く途中、今日学んだことをそのまま分かったような顔でプレゼンテーションしてみたが、友人はニヤニヤしながら聴きながら、「へー、それでそれで?」と言うだけだった。

夜、友人と別れ次は徳島を目指す。松山、また来たい街だ。

2008年9月8日月曜日

長崎県

中国からテレビ局のお客さんをアテンドするために長崎へ来ている。今日から、長崎、佐賀、大阪、和歌山、奈良、京都、静岡、東京と中国とゆかりのある日本の地を回り中国で放送するためのテレビ番組の撮影をしていく。(広島→長崎→長崎・平戸→佐賀→福岡→瀬戸内海フェリー→和歌山→大阪→奈良→滋賀→京都→静岡→東京→広島)

長崎は初めて来たが、情緒ある街並みが広がっていて好きになりそうだ。街には広島と同じく路面電車が走っており、オランダや中国から影響を受けている建物や施設があちらこちらにある。昨日は駅から路面電車で15分ほど走ったところにある平和公園へ行ってきた。63年前の8月9日に投下された原子爆弾で亡くなった方々が祀られている。

これから、長崎歴史博物館、興福寺、中華街、平戸資料館、などを巡る。今では平和な街並のこの街がこれまで辿ってきた壮絶な歴史をこの訪問を機に知りたいという気持ちで地図や資料を片手に歩いてみようと思う。

明日から各都市の中国から伝わった仏教、茶道、伝説を中国のテレビ局の人と追う12日間の旅が始まる。日本の知らない所に行け、大変勉強になりそうだ。

            

2008年9月6日土曜日

広島市民球場

来年から広島東洋カープの本拠地は、広島市民球場から広島駅横の新球場に移転する。そのため広島市民球場とは今年でお別れだ。どうしても最後にカープ戦を見たいと思い市民球場へ行ってきた。

土曜日に観戦しようと思っていたが、最後の市民球場+クライマックスシリーズ生き残りをかけての終盤戦ということでチケットは完売だったので今日金曜日にすることにした。今日のチケットも完売間近だったがなんとか一緒に観戦したけいすけのお母さんに購入してもらい広島市内へ向かった。

球場の入り口には長蛇の列。最後尾に並び入口に向かった。広島市民球場に入った瞬間に目の前に広がる景色はなんとも気持ちを高揚させられる。グランドで繰り広げられている阪神のバッティング練習を見ながら座席を確保し、カープの守備練習、阪神の守備練習が終わり両チームのスタメンが発表されプレーボールが近づく。緊張感が増すグラウンドを眺めながら、幼稚園や小学校、中学校のころ父親と観戦にきた思い出が頭をよぎり、その思い出の球場とお別れかと思うと何か感情的になった。

ゲームは、カープ打線が好調、初回から4点、序盤にも追加点を入れ快勝だった。カープが得点するたびに、「宮島さんの神主が、おみくじひいて申すには、今日のカープは勝ーち勝ーち勝っち勝ち♪」とライトスタンドは大盛り上がりだった。

試合後は一緒に見に行ったけいすけのお勧めのお好み焼屋へ。炭火焼きそば入りお好み焼きがとてもおいしかった。広島満喫のいい夜だった。

2008年9月1日月曜日

上海~大阪フェリー


今回の帰国は初めてフェリー蘇州号を使うことにした。学生のころからいつか日本に船で帰ってみたいと思っていたが、ちょうど上海留学時代の友人が上海からフェリーで帰るので、その彼と一緒に48時間を語りながら過ごしてみたいと思い。また、最近愛読している『坂の上の雲』に出てくる今自分が生きている平和で豊かな日本という国の基礎を作ってくれた明治時代の日本人が壮絶な戦いを繰り広げた日本の海域を眺めてみたい。と言う気持ちが重なりチケットを購入するに至った。

午前10時、上海港へ向かい手続きを済ませ船に乗り込んだ。夏休み最終日ということもあり、子供づれの家族、日本人旅行者、欧米人旅行者、研修のため日本に行く中国人などチケットはほとんど売れているようだった。

上海を出発すると同時に目の前に広がる、東方明珠、森ビルなど巨大都市上海の高層ビルなど遠のいていく上海を眺めた。中国独特の黄土色の河を日本に向けて進んでいき、長江に合流ししばらくすると、海に出て景色は海の紺色にかわった。

持ち込んだカップラーメンを食べ、旅行者と雑談をし、読書をし、夕方になるとデッキに出て目の前に広がる地平線に沈んでいく太陽を眺めた。出発から9時間、今は寝床でこの日記を書いている。残り39時間、友人と語り、景色を眺め、読書をし、これから踏み出す次のステップをじっくり考えたい。日本に帰るのは今年の3月以来5カ月ぶりなので、家族に会えるのが楽しみだ。

2008年8月26日火曜日

アーイの優しさ

中国留学時代の中国人の友人が今朝、日本で働くために上海から成田に飛び立った。大学のころから日本で住んでみたいと目標を持ち、試練を乗り越え勝ち取った念願の日本行きのチケットを手にした友人からの姿から自分という芯をしっかりと持ちその芯を少しずつ太くしながらしっかり生きているなと感じる。

友人は6月に大学を卒業し、日本に行く8月まで上海で過ごさなければならず、ちょうどその時自分は仕事で杭州に移っていたので上海の部屋を使ってもらっていた。そのため、大家の中国人の55歳くらいのアーイ(中国語でおばさんという意味)と友人も知り合い、同じ故郷であるという理由からとても仲良くなり、明後日日本に行く。と伝えると、その日の夜近所のケンタッキーに3人で食べにいって出発を祝おうと言ってくれ、さらに出発の日、朝6時に合わせて見送るとまでも言ってくれ、出発の当日は大家と自分2人で友人を空港行きバス乗り場まで見送りにいくことになった。

アーイとは家主の借主と言う関係だが、ただ部屋を貸してくれている。というだけじゃなく、自分と同じくらいの歳の娘さんが香港の名門大学に留学しているそうで、若い自分の姿を見ているとまるで自分の子供のようなのでほっておけない。と言ってくれ、料理を作ってくれたり、掃除をしてくれたり、事あるごと親切にしてくれ上海での生活を支えてくれている。そしてその度に「謝謝」と言うと、「不用謝(お礼なんていらない)」と気を使わないように言ってくれる。

今朝、朝6時に朝食を持ってきてくれ、そして友人とアーイが手配してくれたタクシーに乗り、空港行きバス乗り場に向かった。夢に向かって出発する友人への日本で頑張れ!という気持ちと、わずか2か月住んだだけの自分の友人にそこまで親切にするアーイの優しさそして、友人の門出を祝うかのような晴天にとても心が和んだそんな朝だった。

アーイと家に戻り、そして今度は自分の日本出発を見送ってくれた。「これまでこの部屋に住んでた人はみんな出世してるよ!だから阿郎もきっと出世するよ」と言ってくれたアーイと別れ、日本行きのフェリー乗り場に向かった。

                 上海~大阪行きフェリー、東シナ海沖にて

日中学生交流企画

帰国を前に大学時代に活動していた、日中学生交流団体が主催する中国人と日本人学生の合宿企画のウェルカムパーティを見学してきた。

会場のホテルに到着しスタッフルームにおじゃまし差し入れを渡し、そして当企画の参加者用冊子を見せてもらった。1週間、日中交流という領域で日中の学生が語りあい、企画運営していくためにどうすればいいのかをメンバーが考えた知恵や想いが組み込まれた一冊で、とてもよくできていた。これはすごい。と思いながら1文字残らず目を通した。

成田空港と関西空港から、関東、関西地区の大学生参加者が到着し、いよいよウェルカムパーティが始まった。代表挨拶、企画紹介、立食交流パーティ、故郷紹介、テーマソングの合唱とスムーズに進行した。会場にいる団体メンバー、参加者総勢約50人の日中の学生一人一人がこの企画に対して期待を胸に秘め、目を輝かせてるような印象を受けた。会場の隅からその姿を眺めながら胸が熱くなるのを感じた。

隣国である日本と中国が、これからどのようにつきあっていくべきなのか?どのようにつきあっていきたいのか?スタッフ、参加者一人一人がこの企画を通じて見つけ出してほしい。2005年2月から立ち上がったこの団体は今年で4年目になる。これからも日中の学生の成長の場となるすばらしい団体であってほしい。そして自分は、これから自分のできることを増やしていき、この団体をOBとして後輩に勇気や希望を与えられるような存在になれるよう成長していきたい。

                        上海にて

2008年8月23日土曜日

猫を預ける

日本に1か月程帰国することになった。しかしその間、愛猫のあにゃん(♀3ヵ月)をどうしよう?と考えなければならない。これまで家を空ける時は、長くても1週間だったので友達にお願いして預かってもらっていたり、隣の部屋の友人に餌と水だけ補充してもらってきてなんとか乗りきってきたが、今回は1か月なので軽々しくお願いはできない。

一番迷惑がかからない隣の部屋の李君にお願いすることにしたのだが、同じ時期に彼も家を離れており、面倒を看れないということだったので、近所の猫を三匹飼っている愛猫家のフォンさんに電話をしてみた。ファンさんは、あにゃんを拾い里親を探していた時ちょうど町の電信柱に「猫が行方不明になったので、見つけたら電話をしてほしい」という内容の猫の写真付きの張り紙をしていて、猫のために張り紙までする人ならきっと可愛がってくれるに違い無い。と思い、あなたの猫を見つけたんじゃないけど、ちょうど今猫を拾ったから飼いませんか?と電話をしたことがきっかけで初めて出会った。

結局、フォンさんの家には既に親子の猫が3匹(母1、娘2)(父が行方不明になった)いて、これ以上増やすのは迷惑だろうなと思ったことと、あにゃんを手放したくないなと思う気持ちで飼ってもらわなかったのだが、時間を見つけてはあにゃんと同じ時期に生まれた子供の猫2匹と遊びに行かせてもらっていた。

「実は日本に1か月ほど帰らないといけないから、あにゃんを預かってほしいんだけど、、」と電話すると、快く「いいわよ。」と答えてもらった。一安心し、お泊りグッズを揃えることにした。また、万が一フォンさんの猫たちに怪我させてしまってわと思い、前日に動物病院で狂犬病の検査や爪切りをしてもらった。

気性が荒く、まだ子供で悪戯好きのため夜離しがいにしているとこっちは寝ているのに足や手をガブッと噛んだりひっかいたりしてくる。そのため寝る時寝場所に入ってこないようにしなければならなく、寝るときに入れるオリを買うことにした。預ける日の前の晩、オリやお泊りグッズをまず持っていかせてもらった。

その日はあにゃんと一緒に寝たが、1か月離れるとなるとやはり寂しい。朝、フォンさんの家にあにゃんを抱きながら歩いているとやはり寂しさと不安を感じ、保育所に子供を預ける心境ってこんな感じなのだろうか?と想像しながらフォンさんの家に着いた。

フォンさんは用事で外出しているのでシェアリング相手の小雨(シャオユウ)が迎えてくれた。早速オリをセットし、しばしフォンさんのかわいい猫と戯れる様子を仲良くやってくれればいいが、、噛みぐせが出なければいいけど、、という不安の気持ちで眺めていた。しかし、小雨の「一路平安(気をつけて日本に行って来てね)」(せめて食費と猫の砂を買うお金だけ受け取ってと伝えると)「お金はいらないそんなことなら預からないよ。安心して日本に帰ってきて。」となんともありがたい言葉をかけてくれ、安心してあにゃんと分かれた。

1か月後、きっと身体は大きくなっていて見違えているだろう。フォンさんの子猫と戯れて成長したあにゃんと無事再会できるといい。

2008年8月22日金曜日

父との会話

父が出張のため来中した。働かせてもらっている会社の社長に「せっかくお父さんが来るなら上海に行ってきなさい」とご好意で休みをもらえ上海へ向かった。終日一緒に上海、杭州を駆けずり回った。

父とは幼いことから別に仲が悪いわけではなく、自分が小学校から高校まで野球チームに所属していたため、シーズン中はほぼ毎週の日曜日試合会場に応援しに来てくれた。そしてその移動の車の中で野球の話しやたまに仕事の話をしていた。ただ、お互いコミュニケーションがあまり上手くないせいか、中々自分としては赤裸々に思ったまま話すというより、どこか遠慮をしてしまっている自分を感じていた。母とは何でも話すが、父とはあまり長時間は話さないという感じだった。

中国で働くようになり、父との会話する機会は、電話とメールだけになりぐっと減ってしまっていた。そのため、今回の来中で、自分が何を考えながら今中国の杭州で生活をしているのかを話せればと思っていた。全日程が終わり、最終日の夜、父もこの機会に自分と話したいという気持ちがあったのか、夜景を望める場所で話をすることにした。結局泊まっているホテルの屋上にある外灘が望めるバーに行き、そこで父と乾杯をした。これまでどうだったのか?これからどうしていきたいのか?について自分の気持ちを話した。

これからやりたいことは、二つあって、一つは、自分で事業を立ち上げたいと思っていること。もう一つは、学生時代から興味を持っている父の仕事で力になれることがあれば手伝いたいということだ。と伝えた。前者はおそらく理解をしてもらえなかっただろうが、伝えることができてよかったと思う。

その後部屋に戻り、普通ならそのまますぐに寝るが、この機会を逃すと次じっくり話せる日はいつ来るか分からないということで、先ほど話していた内容を続けて話した。話しているうちに、父の仕事で抱えている悩みなども聞くことができた。父からそんな話を聴くのは初めてで、それを機に自分も思ったことをすべて話してみたくなり、幼いことから遠慮をしながら家族内でのコミュニケーションで感じていた赤裸々になれない気持ちも伝えた。父はそれを聞いてどう思ったか分からないが、自分は何かこれまで感じていた壁を破ったような清清しさを感じた。

帰国日、空港で握手をし、会社の人と父が帰国した。25歳で初めて腹を割って長時間父と話すことができた、そんな父の訪中だった。

2008年8月6日水曜日

PODCAST

大学を卒業し、上海で就職するということで1年前の3月、中学時代の球友の呼びかけで、小学校、中学校、高校、予備校時代の広島の20名の友達が同級生が営む居酒屋に集まりサプライズで送別会を開いてくれた。本当に心温まるパーティだった。その際、上海でがんばれよ!っていうみんなの気持ちじゃけんということでi-podナノを餞別に贈ってくれた。

そのおかげで、移動の際はいつもポケットや鞄に入れ聴いている。i-tunes から移した音楽もたまに聴くが、もっぱらPODCASTを活用し、情報源や学習用に使っている。

今日は最近聴く番組の数も増えてきたので、一度★とジャンルで分類してみようと思う。
★★★ 更新ごとに必ず聴き毎回聴き入ってしまう
★★  テーマによって★★★と同じくらいおもしろい
★   時間がある時に聴く

【情報系】
聴く日経 ★★
週刊日経トレンディ ★★
読売ニュース ポッドキャスト ★
編集長取れたての話 ★
長谷部瞳は日経一年生 ★

日本の新聞が手に入れにくい中国なので、どの情報源もとても重宝している。この番組かた気になった情報をネットで詳しく調べたり、手帳にメモをし注目しておく。

【知識・知恵系】
伊藤洋一のビジネストレンド  ★★★
伊藤洋一のRound Up Now!   ★★
マーケット・トレンド     ★★
ラジオの街で逢いましょう   ★★★
ラジオ版学問ノススメ     ★★
藤沢久美の社長トーク     ★★
小阪祐司のワクワクビジネスボイス ★

上の三つは伊藤洋一さんがお話される。経済の動きが今どうなっているのか、これからどうなるのか見識を得られる。ラジオの街で逢いましょうは大好きな番組だ。中でも平川克美さんが出演されている番組はゲストとの知的な会話を楽しむことができる。藤沢久美の社長トークは様々な業種の社長の生の声が聴け、刺激をもらえる。

【その他】
情熱大陸+P ★
久米宏ラジオなんですけど ★

情熱大陸は大好きな番組なので、番組の裏側を知れてうれしい。久米宏のラジオなんですけど は久米宏さんの声を聴くとニュースステーションとつながり、広島の実家での生活を思い出すから不思議だ。

【娯楽・音楽】
ぽっどきゃすてぃんぐ落語 ★★★
爆笑問題カーボーイ ★★★
クラシック名曲サウンダリー  ★

この三つは仕事をした後や気分を切り替えたい時、頭を休めるのにとても効果を感じる。
落語はこの番組を通じて興味を持ち出した。爆笑問題カーボーイは移動中思わず一人ニヤニヤしてしまう。クラシック名曲サウンダリーは仕事の前、睡眠前、集中したい時など聴く事により心を静めてくれる。

【語学】
英語deキャリアアップ ★
南美布のstep up with TOEIC ★

英語の勉強をしなければ。英語を話したいな!とモチベーション付けしてくれるのがうれしい。

いろいろな番組を聴いていて思うが、たしかに番組のおもしろさもあるが、
それに加え、自分の聴く姿勢によって頭への入り方が変わり、同じ情報でも質が大きくことなる。そのため、今どんな情報を自分が求めているのかを考えて番組を選ぶようにしている。これからも新しい番組をどんどん見つけていって、移動時間を有効に使いたい。

i-pod広島の友人への感謝を忘れずこれからも大切にしたい。また、このi-podを通じて、成長しまた広島に帰りたい。

2008年8月5日火曜日

杭州のユースホステル

中国に旅行される加藤先生に杭州のホテルを適当にどこか押さえといてということで、真っ先に思い浮かんだのが、西湖の畔にあるユースホステルだった。先日、杭州で3年間、書道を勉強している留学生の知り合いとこのカフェで食事をし、とても雰囲気が良く是非日本からの旅行者にも勧めたいと思っていた。

ユースなので、シャワー、トイレは共同、朝食無しだが、一泊一人部屋で180元、ドミトリーなら6人部屋で1泊一人50元。立地は杭州のおしゃれ通り南山路にあり、建物も杭州らしい趣がある。また、ユースの中には宿泊者が集まるカフェがあり、無線ランがつながっているし、DVDを無料鑑賞できるし、世界の旅行者と知り合えることもできる。

1人部屋が空いていなかったため、ドミトリーに泊まっていただくことになったのだが、勧めておきながらドミトリーでもしも何かあっては申し訳がつかないと思い、一泊50元だし自分も2日間ユースに泊まることにした。一泊は先生に奢ってもらった。
(ここ数日上海に行っていたので愛猫のあにゃんは友達に世話をしてもらっている。)

夕食をして、ユースに戻り、夜は2日間ともカフェで過ごした。先生は司法試験の勉強や生徒への手紙の執筆、自分はパソコンを持っていき仕事の調べ物をし、それぞれの時間を過ごした。バイオハザードを横目にみつつ、たまに先生と話し過ごしたが、集中できる場だなと思った。

映画の音は聞こえるものの、興味の無い映画だとあまり気にならないし、また留学時代北京のユースホステルで友人と徹夜で企画書を仕上げた思い出と重なり、ユースホステルでタスクをするということが自分のアドレナリンを高めているような気がした。先日、山の頂上で読書するのは面白いと書いたが、読書モードの山、仕事モードならユースという感じだ。

これから何か仕事が溜まったら、このユースに数泊して、一人合宿をしようかと思う。
杭州にまた一つ好きな場所が増え、うれしい2日間だった。

2008年8月3日日曜日

『10000時間』続けること

日本から予備校時代の恩師、加藤先生が来て、上海⇒杭州を楽しんだ。先生には悩める浪人時代、現代文の授業で初めて出会い、現代文の授業にとどまらず、

読書の魅力、良書の読み方、一般教養の大切さといった、知的好奇心。
中国の発展状況への興味、仕事の選び方、といった、キャリアデザイン。
朝5時起き、資産運用、ハガキを大切にする、フェリーでの旅といった、ライフスタイル。

など多く学ばさせていただいた。

今は日本の悪徳業社に騙される人が多い日本が許されないという動機から、45歳になろうとされている年齢にも関わらず、高校や大学の教壇に立たれつつ、司法試験に挑戦されている。

近況報告、中国の現状、日本の現状、家族のことなどお話しつつ、上海の南京東路、上海⇔杭州の高速列車『和諧号(CRH)』、杭州の景色を楽しんだ。

お話の中で、「10000時間何かを続けたらきっとそれは自分のものになる。」という言葉は心にぐさっときた。先生もこの言葉は法科大学院の教授の方から教えていただいた言葉で教訓にしているそうだ。

ちなみに、24時間×365日=8760時間なので、10000時間は一年と約52日という時間の長さだ。
ただ実生活には食事、睡眠、人づきあい、余暇などあるので、一日それに10時間とれたとしても、1000日はかかることになる。

自分は何に10000時間費やすかということがまだ絞りきれていない段階ではあるが、今これまで続けてきたことで、これからも続けていきたいことは、中国でのマーケティングかと思っている。といってもまだ2000時間弱だろう。この2000時間を大切にしつつ、またその中でももっと具体的に大きな志を持った対象を作れるようにしたい。

明日は仕事が終わった後食事して、明後日でお別れだ。限りある時間だが、いろいろお話できればと思う。

                     杭州青年ユースホテルのカフェにて

2008年8月2日土曜日

想いを実現するためのスキル

夕方列車の乗って上海に戻ってきた。特急列車の和諧号は金曜日ということでチケットが売り切れてしまっており仕方なく2時間弱かかる快速列車の切符を購入した。今回帰った目的は19時から開かれる上海マーケティング勉強会という毎月開かれている勉強会に参加することと、日曜日に予備校時代の先生が日本から上海に来られるのでお会いするためである。

16時15分に赤い列車は杭州を出発したギリギリで購入したチケットのためか、寝台座席の片隅が自分の席だった。列車で旅をする時なら寝台座席の前の席の人といろいろコミュニケーションを積極的に試みるが、さすがに杭州⇔上海間だけの移動なので、話しかけずずっと本を読んでいた。18時20分に上海に到着し急いで勉強会会場へ向かった。

今日のテーマは大手外資系広告代理店の方による『中国でのマーケティングはおもしろい!』
というものだった。自分はこれから何をとことんやりたいんだろう?と考える日が続いているが、やはり学生時代からずっと興味を持っている、中国でのビジネス。その中でもマーケティングというのはもしかしたらとことんやるに相応しいかもな。と少し思っているから興味深いテーマなので杭州からの強行参加を決めた。

内容は、その方のこれまでの仕事の経歴、簡単なマーケティングの方法、中国での成功事例、上海で働く事の面白さ、質疑応答というものでこれからの仕事で活かせるなと思えることを拝聴できた。

中でも、ご自身の経験談から、気持ちだけでなくしっかりとした理論武装もしなければ相手に伝わらないというお話をされていた時、「理論構築と客観性は想いを実現するためのスキルである。」と言われていて、自分にあてはめられることができた。これまでこのビジネスは!!と熱く燃え上がるような気持ちになっても、それを落としこめるだけの方法を知らない自分を感じることがあるからだ。

今日の勉強会を通じてこれからやるべきネクストステップとして
○理論構築ができるような方法論をしっかりこれから学ぶ。
ということを心がけたい。
そして、それに加え最近思い続けている、
○熱い気持ちを持てる対象をじっくり考え見つけ出す。
を組み合わすことができればいいなと思う。

2008年7月27日日曜日

あにゃんの成長

先週の金曜日から、上海に帰らなければならないためあにゃんを友人の築さんに預かってもらっており、今日杭州に帰ってきて再会した。

それまで日に日に大きくなる姿を見ながら、1週間後は大きくなってるだろうな、成長著しいこの時期に一週間も別々に暮らすのは残念だなと思って別れたが、その予想を上回る成長ぶりに驚いた。身体の骨格、筋肉、毛波、目つき、噛みつく力、脚力、わずか一週間で一周り大きく成長している。持ち前の、逃げ足の速さ、食欲も一段とパワーアップしている(女の子なのに。。)

誕生日が推定で6月初旬なので、今で約2か月人間で言うと×4で8か月の赤ちゃんになる。大きくなったとは言え、まだまだ赤ちゃんで色んなものに好奇心が旺盛でとてもかわいい。

たっぷり愛情を注ぎ、再びあにゃんとの杭州ライフを楽しみたいと思う。拾った時からだが、少し腹がでっぱっているのが気になるので近々病院で見てもらおうと思う。1週間預かってくれた築さんに感謝だ。

2008年7月25日金曜日

父との会話

父が出張のため来中した。働かせてもらっている会社の社長に「せっかくお父さんが来るなら上海に行ってきなさい」とご好意で休みをもらえ上海へ向かった。終日一緒に上海、杭州を駆けずり回った。

父とは幼いことから別に仲が悪いわけではなく、自分が小学校から高校まで野球チームに所属していたため、シーズン中はほぼ毎週の日曜日試合会場に応援しに来てくれた。そしてその移動の車の中で野球の話しやたまに仕事の話をしていた。ただ、お互いコミュニケーションがあまり上手くないせいか、中々自分としては赤裸々に思ったまま話すというより、どこか遠慮をしてしまっている自分を感じていた。母とは何でも話すが、父とはあまり長時間は話さないという感じだった。

中国で働くようになり、父との会話する機会は、電話とメールだけになりぐっと減ってしまっていた。そのため、今回の来中で、自分が何を考えながら今中国の杭州で生活をしているのかを話せればと思っていた。全日程が終わり、最終日の夜、父もこの機会に自分と話したいという気持ちがあったのか、夜景を望める場所で話をすることにした。結局泊まっているホテルの屋上にある外灘が望めるバーに行き、そこで父と乾杯をした。これまでどうだったのか?これからどうしていきたいのか?について自分の気持ちを話した。

これからやりたいことは、二つあって、一つは、自分で事業を立ち上げたいと思っていること。もう一つは、学生時代から興味を持っている父の仕事で力になれることがあれば手伝いたいということだ。と伝えた。前者はおそらく理解をしてもらえなかっただろうが、伝えることができてよかったと思う。

その後部屋に戻り、普通ならそのまますぐに寝るが、この機会を逃すと次じっくり話せる日はいつ来るか分からないということで、先ほど話していた内容を続けて話した。話しているうちに、父の仕事で抱えている悩みなども聞くことができた。父からそんな話を聴くのは初めてで、それを機に自分も思ったことをすべて話してみたくなり、幼いことから遠慮をしながら家族内でのコミュニケーションで感じていた赤裸々になれない気持ちも伝えた。父はそれを聞いてどう思ったか分からないが、自分は何かこれまで感じていた壁を破ったような清清しさを感じた。

帰国日、空港で握手をし、会社の人と父が帰国した。25歳で初めて腹を割って長時間父と話すことができた、そんな父の訪中だった。

2008年7月20日日曜日

厳しく言ってくれる人

上海に金曜日戻り出張で上海に来ているおじ(母の兄)と会い、食事をした。
おじは3か月に1回のペースで上海出張に来ており毎回食事をさせてもらっているので、3か月ぶりの再会となる。今年の8月から東京で就職する学生のころからの中国人の友人も、これから一人で東京生活なので東京によくいるおじと何かあった時連絡をしてほしい。食事の前に少しだけ通訳をしてほしい。ということで同行してもらった。

おじにはこれまで上海に来る度に、また僕がおじが一緒に住んでいる兵庫の祖母の家に行く度にいろいろ話させてもらっており仕事の仕方からファッションセンスまでいろいろ指導してもらっているが、とても辛口で、厳しいことを言うが、優しさも兼ね揃えている人だと思う。

ホテルで合流し、自分の近況を報告し、通訳の手伝いをし日本料理屋栄で食事をする間、辛口の嵐だった。
●自分が本当に何やりたいかも分かってないのに、何かやりたそうなフリをしているだけ。
●起業したいって言って何するの?でかいことばっかいって具体性がまったくない。
●心のどこかで親に甘えてる部分があるんじゃないのか。
●結局やりたいことばっか探して現実から逃げているように思う。

ガツンとくるコメントばかりで、心が重くなるのを感じた。

また、今日同行してもらった中国人の友人は、後輩ながら思ったことをストレートに言う性格でこれまで何度もここが悪いと指摘を受けている。ただ、大変努力屋だし、優秀で、この度全中国600人の中から2人選ばれ日本での就職を手にいれている女性で、彼女から刺激を受けることは本当に多い。

おじの指摘に加え、友人もこれを機に僕に言いきれなかった指摘をする雰囲気になって、
●人とのコミュニケーションが下手だと思う。相手に不快感を与えずコミュニケーションをできるようになった方がいい。
●目的を共有しておけば、過程は指摘する必要が無いと思うが、過程を否定することがある。
●服のセンス改めた方がいい笑

などなど、家族の中で一番辛口、友人の中で一番辛口の2人との会食になり、心も身体もボロボロになりそうだった。

しかし、辛さの反面、うれしさを感じた。こんなに言ってくれる人なんてそうはいないな。
そして、そこから這い上がろうとしなければならない自分を準備していく自分を感じ、
その心境が心地よかった。この心地よさが自分の成長につながるのかな。と思い、
厳しく言ってくれる人は本当に大切にしないといけないなと思う一日だった。

おじさん、友人のD、に感謝。次会う時は同じことを言われないようにしたい。

2008年7月12日土曜日

情熱大陸@tudou.com

『情熱大陸』は刺激をもらえておもしろい!主題歌の葉加瀬太郎のエトピリカは毎朝聴いてやる気もらってる。と上海留学時代に知り合い、現在はニューヨークに留学している友達が話してくれ、彼の学びに対する姿勢にはいつも驚かされているので早速自分もtudou.comという中国の人気動画サイト(日本では著作権の関係で見れないが。。)で情熱大陸を調べてみるといくつかヒットした。tudou.comの閲覧者は中国の若者が多いのでアップされている登場人物は、ジャニーズ系だったり、アイドル系が多い。(職人系は見つからなかった)

ヤマピー、ニノ、福山、BOA、上野樹里、土屋あんな(敬称略)、日本にいたらあまり興味を持たないジャンルだけど、登場人物はともかく『情熱大陸』を見たい!という気持ちで見てみた。

ヤマピー、ニノを見終わって、ジャニーズすごい!アイドルすごい!と見直した感覚になった。何かに向かって走っている姿が眩しく、置いていかれたくないという気持ちにしてくれた。そして、他の登場人物もどんどん見ていった。福山雅治以外、自分とあまり歳は変わらないのに、この映像を通して中国の若者に刺激なり感動なり与えている。

以下印象に残った場面やコメントを箇条書きにしておく。

山下智久
●小学校から5年間日記を書いている。
●母子家庭で育って母ちゃんを楽にさせたいと思った。
●芸能人にあこがれそれを叶えたかった。
●自分がやっていることに誇りを持ってる。どんなな仕事でも全力で取り組める。
●何かを得ようと思ったら、何かを捨てないといけない。

二宮和也

●1983年生まれ25歳
●硫黄島からの手紙で映画デビュー。ベルリンでドイツ女性のファンが増える。映画で俳優としてどういう経験をしたのか?という質問に対しては、「ただ本当にたんたんと伝えることを考えてきました。」と答える。
●世の中の若い男にジャニーズってだせーよなと言われるとすごく面白く感じる。反発される方がいやすい。
●ゲームやってる方がいろんなことが入ってくる。やってないと自分の考えが入ってきちゃう。
●やりたいポジションはキャッチャー。
●アイドルって空気読める人が多いと思う。何を求められるか分かる。自分主導で生きたことはない。
●本気ですから。

BOA
●当時19歳
●13歳で韓国で大ヒット。日本5年14才で日本へ。日本で、韓国で、アジアで大活躍。
●並はずれた歌唱力。言葉の壁を超えた表現力
●これまで人の何倍も濃い時間を過ごしてきた。
●外国人の女の子が外国語で自分を出さないといけない。
●泣いても何も変わらない。目が腫れるだけ。そういう時こそ笑えば、何か変われる。
●踊り過ぎて披露骨折の一歩手前。
●日本語の歌詞を書くのが楽しくなってきた。
●日本に初めてくるときに買った電子辞書を5年使っている。
●日本は身体が落ち着く韓国は心が落ち着く


福山雅治
●売れるってどういうこと?売れてない時って売れてない人が集まってくる。売れてない人同士がお金持ってないのに、お金じゃないって話はじめる。売れてないのに、売れるためじゃないって話すのは違うと思う。売れるのがすべてじゃないっていうのを知るためには売れないといけない。
●プロとアマの違いはプロは売れないといけない、でも売れることがすべてではない。
●ものづくりにおいて精神の目指すところはアマチュアだ。自分が創りたいって思ったものを創っていいんだと思った。はじめてアマチュアになれた。
●プロジェクトってちょっとの理解と多くの誤解を生む。
●カメラマン植田正治81歳との出会い。80歳を過ぎてなお、少年のように写真に向き合う人。
●植田正治さんのように何でもないものを絵にできるか?自分の目の前にあるこの景色を好奇心にできるか?
●植田正治さんに比べ自分はなんて凡人なんだと思う。自分にがっかりする。何が自分に向いているんだろう?
器用貧乏。
●僕は福山さんにしっとする。若いころ福山さんくらいの情熱とまじめさがあったなら。
●幸福は真しに何かを求めるものだけに与えられる。
●コンサートでは一番遠いお客さんまで届くボールを投げることを意識している。
●照明から美術まで超一流を揃える。


土屋あんな
●22歳1984年生まれ
●20歳で結婚
●まっすぐで素直。人に媚びない。
●土屋にしかできないちょっと危ない役どころが回ってきた。
●基本的じゃないな動きだけど今となってはもう誰も何も言わない。
●一流スタッフに囲まれても自分の意見を主張する。どんどん自分を表現する。
●アンバランスなイメージがある。
●一体人間にとって外見って何なの?

上野樹里
●命がけで向かってくる。人として信用できる。
●分からなかったらできない。ちゃんと感情が分かってからやりたい。


前回の日記で『狂気を持って臨める事業の見つけ方』を書いたが、
『情熱大陸』に出る人はみんな何かしら狂気じみたものを持っているように思う。
いつか『情熱大陸』に出てみたい。というか、出演できるに値するだけの事業や日常生活を見つけ出したい。

2008年7月11日金曜日

狂気を持って臨める事業の見つけ方

大学を卒業して1年と4ヶ月が経つが、なんで働くんだろう?なんで働きたいんだろう?何したいんだろう?と考えているが、その答えが以下の三つのポイントが重なり会うところにあるような気がしている。

●意義を感じる
誰もやったことの無い自分にしか(自分たちにしか)できない新しいことに挑戦している
数百年の伝統的なもので自分にしか(自分たちにしか)守り続けることができないこと
多くの人が求めていて、自分の論理感に反しない
社会がより良き方向に向かうために自分は(自分たちは)何ができるか何をすべきか考え続けている
自分たちで価値を創出している

●自分が変化の激しい社会で生きていき進化するために十分自己投資できるお金が得られる
情報を取得するために最新のパソコンを買ったり、買いたい本や調べたい資料、通いたい講座やセミナーに参加できる
会いたい人と予算を気にせず過ごせる
おいしいご飯や便利な生活で健康に気を使える
他人に与え続けることができる

●仲間がいる
同じ目標を持ちそれに向け切磋琢磨できる
頭が良く自分の知らないことを知っていて刺激を受けられる
こんな人に自分もなってみたいと憧れる
自分の存在が仲間の成長に繋がる

三つのポイントを円にして三つの円が重なるところを追求できている時、楽しくって仕方がない事業があり、それを達成するためにまるで狂気を持っているかのようにひたむきに臨めているんだろう。狂気を持って臨めるというのは、睡眠時間を削ってもボロボロになってでも達成したい、それを成し遂げるために自分を磨こうとする、毎日ご飯がおいしい、というイメージをしている。

自分に厳しく、かつ必要な情報を確実に吸収しつつ狂気になれるところを見つけていきたい。
そして事業を見つける上記の三点にもまだ足りない部分があるかもしれないから更新できるようにしたい。

杭州の魅力

杭州生活は早いもので2ヶ月が経とうとしている。
平日は杭州、週末時間を見つけては上海に帰っている。杭州⇔上海間にできた高速鉄道「和諧号CRH」のおかげでわずか90分で上海に行くことができ、杭州に拠点を移しても上海がとても身近に感じられる。

なんで杭州に拠点を移したのかと、こちらで会う人によく聞かれるが、今のところ以下の3点をその理由にしている。

●杭州は日中間の交流が頻繁に行われていて日本人として働きやすいのでは?という予想。
杭州市の属する浙江省は静岡県と、また杭州市は岐阜市、福井市と友好都市関係にあり盛んな交流が行われている。観光スポットである西湖沿いに「福井杭州友好公園」を作っていたり、三都市の記念品が贈呈してある山荘もある。浙江省や杭州市としてもこれからどんどん海外の企業や人との交流を望んでおり、展示会やマッチングビジネス交流会などがしきりに行われている。

●上海に比べ日本人社会が発達していない。
杭州の日本人の数は3000~6000人であると言われている。日系企業では主に製造業が進出しており、サービス業系の企業はほとんど進出していない。日系のフリーペーパーも上海の3分の1くらいの厚さで、上海に比べ日本人への情報は少ない。その分他の人が知ることができない新しい情報が得られるのではないかと期待している。特に杭州だけでなく、中国でも富裕層が多いことで有名な浙江省(温州市、紹興市、寧波市などが属する)にはこれから注目していきたい。

●環境が良く住みやすい
街の中心エリアに西湖(せいこ)という綺麗な湖があり、近年は車が多くなってきてはいるものの緑が多く心安らぐ場所が多い。少し西部に行くと星が綺麗に見え、何か日本の田舎町を思わせてくれるような風景が広がる。またこれは自分の感覚だが、お米が上海にいたよりおいしいような気がする。レストランで出てくる米はどれも臭みが無く、自然と食欲が高まっている。休みの日ちょっと湖の畔に足を伸ばすと、中国でもトップクラスと言われている西湖の風景を眺められることはとても贅沢なことだと思う。

このきっかけに加え、これから自分のできることを増やして視野を広げて、もっと杭州や浙江省の良いところを見つけていきたい。

2008年7月1日火曜日

死ぬかと思った

愛猫あにゃんとの生活も早いもので2週間が経とうとしている。猫の成長は人間の4倍だそうで、生後推定1.5か月のあにゃんは、人間で言えば0.5歳ということになる。身体もどんどん大きくなって、革靴にすっぽり入りそうな鼠のような体が今では革靴と同じくらいになろうとしていてその成長の早さには目を瞠る。

一日家の中で飼っているが、仕事を終えると外に散歩に連れていってやったり、部屋の中で遊び少しでも体を動かすようにしている。外を離して歩かせても、後ろをトコトコついてくる姿がかわいく、とても癒されている。

離しがいにしてみたり、部屋を自由に歩かせているのは、ストレス無くすくすく育ってほしいという気持ちだが、少し目を離すと車の下に隠れ出てこなくなったり、部屋の外へ出てどこかへ行ってしまいそうになるので極力ストレスを与えないよう、自由を与えている。

しかし今朝自由を与えすぎて、大事件が起きた。朝ベランダで遊ばしていて、4階で危ないかなと思っていたが、まあ猫だし大丈夫だろうと思い目を離して違う部屋で用を済ませていた、そしてベランダに戻ってみるとあにゃんがいなくなっていた。どこを探してもいない。もしかして。と思い4階から1階の庭を覗いてみたが、気配が無い。しかし部屋にもベランダにもおらず
ベランダから落ちたとしか考えられない。3階のベランダにひっかかったのか?地面に落ちて即死してしまったのか?一階に探しにいき、恐る恐る落ちたであろう庭の中を覗いてみると、「にゃー」と小さな声が聞こえあにゃんと目があった。

助かった。部屋に連れて帰り、4階から落ちたことをもう忘れてたかのようにいきなり餌を食べている姿を見て安心し少し眺めていたが、しばらくすると食べながら口のところを気にしだした。良く見てみると口を大きく切っていて、血が出ている。前歯も1本折れているようで、あちゃー。と思いながらそのまま動物病院へ連れていった。

病院に着くと、院長にもしかしたら歯だけじゃなく、内臓にも支障がありその場合は入院しないといけないかもしれない。と言われ、そりゃ4階から落ちたんだからそれくらいは覚悟しないといけないか。と思いつつ、仕事があるので、病院に預け仕事に向かった。仕事が終わって病院に駆けつけてみると、なんとか1日で退院できると言われ安心した。ただ、傷口が完治したら、折れた前歯一本は抜歯しないといけないそうだ。

今は動物病院から借りた鳥籠のような小さな籠でおとなしく寝ている。5日間はこの小さな籠で安静にさせ、口の傷を閉じさせないといけないそうだ。

自由を与えすぎたら逆に自由を奪う形になってしまい保護者として少し反省。
今後はこんな事件が起こらないように人と猫の共存ラインはどこが一番お互いが幸せなのか、探りつつ暮らしていきたい。

とりあえず生きててよかった。

2008年6月21日土曜日

猫を拾った

杭州に引っ越して3週間が経ち、地図も覚え、生活習慣も安定し、落ち着いてきた一昨日の朝、出勤のため家の前の道路で猫を拾った。

朝とぼとぼとネズミみたいな手のひらサイズの小さな猫が歩いていて、
とりあえず飲んでいた牛乳をやってしばらく見守っていた。

大丈夫かなと思い見ていると、、、

●果物屋のおばちゃんは、猫が嫌いなようで足を使ってはねのけ、、
●今住んでるところは離しがいの犬がよくいるんだけど、よってきて今にも猫を食べそうになり、、
●後ろからトラックが来て今にもひかれそうなところを近くにいた女の子に救われ、、

と、わずか10分に三回死にそうになっていて、これは死ぬなと思い無視して出勤できず、箱に入れて家まで連れて帰ることにした。(出勤する間は家にかごに入れて放置)

夜、会社から帰り部屋を開けると、まだ元気で安心した。

臭いし、汚いし、怪我してるしの、3Kだったので洗ってやることにした。(のみ一匹目撃。。)

今は箱の中でおとなしく寝ています。

名前は阿醸(あにゃん) 僕は阿郎(あらん)性別は雌。
とりあえず外で生きていけるくらい大きくなるまで育ててやろうと思う。

2008年6月15日日曜日

25歳のバースデーを祝ってもらえた

今週末は上海に戻り、週末を過ごし、杭州では会えない人(昨日は4名)と会い、杭州では行けないところ(外国語の本屋、散発、カフェ)へ行き、今日これから杭州に戻る。

昨晩はなんと学生時代に活動していた、団体の現役メンバーが家に来てくれ25歳の誕生日を祝ってくてた!狭い部屋に6人の日中の後輩と自分の7人でテーブルを囲み、後輩の手作りカレー(日本産コシヒカリ使用)を食べ、お酒を飲んだ。

今年の8月に上海でイベントを実施するためにプロジェクトを進めているメンバー、関西で同じく8月にイベントを実施するためにわざわざ上海に来ているメンバー、そして、今年の8月から念願叶って日本で就職する元メンバー、と団体の3世代が集まるパーティになり、現役メンバーの課題や楽しかったことなどいろいろ聞けた。

食事の後には、『2』『5』のローソクが載ったおいしいケーキも食べ、しばし楽しい時間を過ごせた。卒業をしても誕生日を祝ってくれ、本当にうれしい。良い誕生日になった。
中国では、ケーキにローソクをつけて、誕生日の歌を唄い終わり消す前に、ケーキの前で三つ願い事をする。最後の願いごとは自分の心の中でつぶやく。

ずばり昨日は
3.25歳の今年のうちに、会社をつくる。
2.後輩が頑張っている団体を応援し続ける。
そして
1.(    )

是非叶えたい。

2008年6月4日水曜日

浙江大学

杭州で一番有名な大学は浙江大学だそうで、中国国内でもTOP10に入る難易度らしい。
今日は夜その大学で毎週水曜日に実施している、中国人と日本人が中国語と日本語でコミュニケーションをとる日中交流角という交流会に参加してきた。

約30名くらいでその内日本人が10名中国人が20名、大学内のカフェに適当に座り2時間ほど
中国語と日本語でコミュニケーションをした。

たまたま隣になった男性は杭州ではなく、武漢という杭州から10時間ほど離れたところの大学を卒業し、今杭州の某有名日系IT会社に勤めているそうで、武漢の事情、仕事の事情、中国の大学生事情など聞けて楽しかった。

中でも、会社の上司は日本人だけど、仕事の能力や経験がかなり高いことや、GREとト―フルが中国では有名で、単語数は10000~30000覚える必要があると言われていること、武漢はまだまだ未開の地で、外資系は少ないこと。を聞け勉強になった。

時間を見つけては中国のおもしろい人が集まるコミュニティーに参加していきたい。

校内网(こうないわん)

留学時代と合せて、中国生活は3年目に突入したものの、中国語は中級止まり、中国への好奇心はそこそこという日々が続いていたが、最近 facebookのクローン版で、校内网(ソフトバンクから$430M(4億3000万ドル)の資金を調達)という大学生をメインターゲットにしたSNSを友人の中国人に教えてもらい変化があった。

登録し、中国語を使って日記を書いたり、中国人が中国語で書く日記を読むようになり、自分の中国での体験を中国語で書きたい、中国人の若者が今何を思いながら生きているのかもっと知りたい、という好奇心が高まってきた。

自分の書いた日記に中国語でコメントが入り、中国人の友達が、いつもは言わないような本音を日記に綴る。ネット上だけど、これまで以上に中国人の知人とのコミュニケーションが取れる気がする。

上海で活躍している日本人芸能人、小松拓也さんの中国語ブログをたまに見ているが、書きこみがすごいことになっている。100件くらいのコメントはザラだ。小松さんはそのコメントに対し、どう思っているかは分からないが、毎日あれだけ中国人の意見をもらいながら中国で生活している姿勢は見習いたい。

2008年6月1日日曜日

登山と読書

杭州に来て初めての日曜日

集中して読書をしたい。
杭州を知りたい。
気分転換をしたい。

と言う気持ちから、家から1時間程の山、北高峰の頂上にある寺を目指し読書をすることにした。杭州は山に囲まれているので、すぐ自然と触れ合えるのでうれしい。

《登山》
登山の魅力は以下の三点だと思っている。
●何も考えず歩いていると、いつのまにか思考だけは違うところは飛びあらゆることを想像できる。
(今日は子供ができたらお弁当を作って、家族でピクニックをしてみたいなあ~。とか、ビジネスをこれからこんな風に進めていけないかなあ?などいつのまにやら考えていた。日常では巡り合えないかもしれない発想だ)
●目的を目指して汗を流して進んでいく過程が何か今の自分の人生を思わせてくれ、自分のことを客観的に見つめられる。
●登り終わった後の達成感は最高!
大学の終わりに友人と屋久島登山をした時登山の魅力を感じたが今日も感じることができた。

《読書の方法》
また、読書の方法は部屋でも読書はするが、外出先で読書をするのが好きだ。珈琲屋、電車、バスの中、銀行の待ち時間、騒がしい外の世界を感じつつ、本という内面の世界に浸ると、本の世界で学んだことをどうすれば外の世界で活かせるか感じやすい気がする。読みながら様々なアイデアが浮かんできて、それを本にどんどん書いていく。

《山の上の読書》
今日は始めての山の頂上でという試みだったけど、予想以上に集中でき良い読書ができた。また、山だけじゃなく寺がセットについていたということが幸いし、今日読んだ本は『現代の経営』ドラッカー で途中大企業のマネージメント手法など経験したことが無いことが多々でてきて、難解なところがあったが、寺の横のためお寺の鐘がゴーン!と響き頭を活性化さえてくれた。

絶景を眺めながらテーブルに杭州のロンジン茶を置き読書をしたらいろんな発想が引き出せた。本から何か感じては、メモ用紙に書き込んでいっていたのだが、アイデアの一つに、英語をしたいっていうことがあり早速下山後英語の先生を見つけ実行に移した。

杭州には今日行った北高峰以外にもたくさんの登りやすい山があるので、時間を見つけては本を一冊片手に、登って読書をしたいと思う。そんな新しい読書法を発見した日曜日だった。

今日は妹の誕生日(22歳)京都から実家に帰り、92歳のおじいちゃんとケーキを持った写真を送ってくれてうれしかった。おめでとう妹!

友人の子供が生まれた!

小学校からの幼馴染、広島のけいすけから「Jrが生まれた」とメールがあった!

2月に広島であった結婚式はいい結婚式だった。
幼馴染のけいすけの子供がこの世にいると思うと少し不思議な感じがする。
早く会ってみたい!

奥さんの綾子さんとJrと幸せな家庭を築いてほしい。

2008年5月30日金曜日

浙江工業大学の見学

仕事の後、会社の仲間孫君(あだ名:ソンカン)の誘いで、ソンカンの通っている浙江工業大学の見学に行ってきた。

上海で交通大学の本校を見学した時、大学の中に数多くの寮やスーパー、理髪店など生活に必要なものがほとんど揃っていてわざわざ市内まで出なくても学生が生活していけることを知り驚いたが、浙江工業大学も上海交通大学に負けず劣らずのスケールだった。且つ校舎がどれも近代的で、こんなところで勉強できると学生は学問への意欲が湧くだろうなと思った。

夕食の時間だったので、大学の寮に住んでいるソンカン自慢の美人彼女も呼び食堂でご飯を食べた。これがまた驚きで、まるでデパートのフードコートのようにカラフルな看板を掲げたバイキングになっており、味もとてもおいしかった。(しかも安い!)

その後、大学を一通り見学して、バイクにソンカンと彼女と自分で三人乗り。家まで送ってもらった。バイクで眺める夜の杭州はとても気持ちよかった。

この寧波出身、23歳のソンカンという男。今自分がお世話になっている旅行会社でインターンをしているのだけど、一緒にいてとてもおもしろい。お互いちょっと変な中国語(自分)とちょっと変な日本語(ソンカン)を駆使して、一緒にいる時は笑わせ合っている。大学でも人気者だそうで、バンドチームのギターや学部のリーダーなんかを務めている。

しかしなんと今日ソンカンが会社から来月から来ないでいい。と突然のクビを言い渡されてしまった。原因は遅刻が多い、即戦力として期待できない、ということで、いつもクビになるんではないのか?っていうことをネタに笑いあっていたが、本当にそうなってしまうとはで今日ばかりは真剣に今後のことを相談した。

今お世話になっている旅行会社はとにかくすぐに結果を出せる人材を求めている
ただ、ここ2週間一緒に過ごして本当にいいやつだと思うから、なんとか彼に残ってもらいたいが、仕事ができるのと、いいやつっていうことは、ここでは重要視されないようで残念だ。

2008年5月28日水曜日

早朝まで仕事

午前3:43、東京の外資系コンサルで新社会人として働いている友人から、「今仕事が終わった。」とメールをもらった。

中国時間で3:43なので、日本時間では4:43。どんな仕事をしているのだろうか?仕事内容が何であれ、真剣に熱意を持ってその仕事に向き合っていないと朝の4時まで(しかも火曜日)仕事はできないだろう。

4:43まで仕事をしたいかと思うと、あまりしたいとは思わないが、4:43まで思わず仕事をしてしまう仕事には憧れる。睡眠時間よりも、自分の部屋で過ごす時間よりももっと重要な時間が送れる事業を見つけてみたいものだ。

2008年5月27日火曜日

朝会

今日から学生のころの仲間とウェブを使って朝会を始めることになった。朝6時10分~6時40分まで、どんな展開になるか楽しみだ。たった30分の時間だけど、新しい発見になればいい。

杭州生活にもだいぶ慣れてきた。朝起きると家のとなりの山から小鳥の声
が聴こえとても空気がいい。日本の田舎町を思い出させてくれるのでうれしい。

2008年5月25日日曜日

人間の心が動く時

『Web Campaign』という本を友人に借り、読んでみたが、
著者の一人の阿部晶人さんが興味深いことを言われていた。

何かキャンペーンを企画する時は相手の立場にたってみることが大切で、
その時相手の相手の心を動くきっかけは10個あるそうだ。

以下引用

1人間は、美しいものが好きだ
2人間は、新しいものが好きだ
3人間は、人に伝えたがる
4人間は、おだてられるのが好きだ
5人間は、面倒なことが嫌いだ
6人間は、飽きやすい
7人間は、笑いたい
8人間は、他人に意見が気になる
9人間は、隠されたものを見つけたがる
10そして人間は、心を動かされたい

10個どれも自分が何かに心を動かされる時、確かにそうだと思うものだったので、
とても参考になる。何か新しい企画を考える時意識して、自分なりの10項目も作っていきたい。

2008年5月22日木曜日

ひさびさの更新

ブログが中国から開けず。。久々の更新になってしまった。

5月初旬にお知り合いの方の紹介でお会いした、杭州の高級層向けに日本旅行を販売している会社で中国人の日本旅行を勉強させてもらいつつ、新規事業を進めることになり5月中旬から上海から杭州に拠点を移すことになった。

拠点を移すといっても、上海から電車で1時間30分で着くので上海にも時間を見つけては帰ってこようと思う。杭州は湖を囲った奇麗な街だ。静岡、福井、富山が友好都市となっており、日本と活発に経済や文化交流がされており、1週間住んでみたがとても住みやすい。

週末、1週間ぶりに上海に戻ってきて、明日は上海でセミナーや人に会う。
取り急ぎ、久々の更新。

2008年4月30日水曜日

日中関係に関する作文

「私と中国」というテーマである雑誌がエッセイを募集していて、今日が締切りだったので、800字書いて提出してみた。結果発表は7月、商品は五か月分の雑誌だそうだ。

以下がその文章
『3つの視点から見る日本と中国』

大学のころ運良く上海に留学したことがきっかけで、上海で起業をし、早いもので上海生活3年目になる。最初は知らないことばかりの中国だったが、今では中国の慣習、人の価値観、社会制度など理解が深めまってきている。中国での生活を通じ、会得した中国と付き合う時意識していることがある。

それは、世界の紛争地域を取材されているフォトジャーナリストの桃井和馬さんが話されていた「一日を愛し、一年を憂い、千年に想いを馳せる」と言う言葉に込める、世界を見る際、「身近な関係やコミュニティーを大事にする一日の視点。社会や国や世界の情勢を考える一年の視点、人間や生きとし生きるものを含む地球規模の千年の視点」と言う三つの視点を持つことである。この考えを以下のように日中関係にも当てはめ考えることにしている。

『1日の視点』 
留学や仕事を通じてたくさんの中国人と知り合え、彼ら彼女ら一人一人のこと、過ごした思い出はおそらく死ぬまで忘れないし、10年後もお互いどう成長したのか語り合える仲でいたい。日本の友人同様、彼ら彼女らと誠心誠意付き合っていき、これからも中国で日々迎える一期一会を大切にして生きていきたいと想う。

『1年の視点』 
一年後日中関係、1年前の上海と今(2008年)の上海は姿を大きく変えている様子を見ると、10年後の上海はさらに近代都市への変貌が予想できる。私が生まれ育った国、日本の発展を望んでいるのと同じように中国の友人ももちろん自国の発展を望んでいる。そんな国同士、お互いを成長させ合えるような関係を築いていきたい。

『1000年の視点』
私はこの世にいない世界。私の子孫はどのような世界を見ているのだろうか?環境問題が叫ばれていている今日だが地球はどうなっているのだろうか?この見えない問い対する答えは、今できることを地球市民が少しずつ考え、実行することだ。それぞれの文化、人、社会を尊重しつつ、1000年後のすばらしき地球を見定めていきたい。

こんな風に、3つの視点のバランスをとりつつ、中国と向き合い、この大地で何をするべきか悩み続け、事業という形で、3つの視点の答えを表現し続けたいと想う。

字数制限が800字なため、言いたいことをまとめるのは難しかったが、久しぶりに作文を書いて頭にいい汗をかいた気分だ。

2008年4月24日木曜日

態度能力

早稲田大学名誉教授の本明寛さんの「態度能力」という概念をあるセミナーで知り、興味深かった。是非本を読んでみようと思う。

それによると、人間のパーソナリティは中核に気質、次に性格、態度、役割行動と分けることができるそうで、

気質⇒遺伝子的要因が強い
性格⇒幼少期の親との関係(特に母親)によって形づくられる
態度⇒「良い態度」を努力によって獲得することができる。
役割行動⇒自覚的に「良い態度」を積み上げていくことで、仕事の様々な局面に応じて成果に結びつく役割行動をとれる基盤が自分の中に整う

とのことで、前の2つの気質と性格は生まれ育った環境により決まるものでなので、「良い」、「悪い」、という評価をするものでなく、自分も他人もそれを素直に受け入れるべきであるり、一方、後ろの2つの態度能力と役割行動は学習と経験によって習得できる後天的な能力であると言えるそうだ。

企業としては、「良い態度」や役割行動を目指す人材像への成長を導いていくことが望ましい発展であると言える。

意外だったのは性格が生まれ育った環境、特に生まれて3年間の母親との関係で決まると言われている。ということだった。自分の母と3歳までどういう関係だって今の自分があるんだろうか?今度実家に帰ったら聞いてみよう。また、これから人と接するとき、その人のお母さんがどんな人なのか興味を持ってしまいそうだ。

中国に来て、国籍の違う人と接すると、え?と思うことが結構ある。身近で言えば地下鉄の入口で並ばなかったり、ゴミの分別をあまりしなかったり、街や地下鉄駅の公共ゴミ箱に幼い子供を抱っこして便をさせていたり、、と。

ただ、そういう場合は、上の学びから

STEP1として
「良い」、「悪い」、という評価をするものでなく、自分も他人もそれを素直に受け入れる。
STEP2 として
その行動に対して僕は●●と思ったけど、そちらはどう思うか?果たして僕たちが共存する上で、「良い態度」とは何なのかね?と意見交換(時間が無い場合は無関渉になってしまう)
STEP3 解決

というSTEPを踏めるようになれればと思う。

2008年4月23日水曜日

ふとした一言

今日の午後、『中国内販セミナー』というセミナーに参加した。
世界の工場から世界の市場へと見方が変わりつつ中国で、いかにうまく販売をしていくかについて、三名の講師の方が、調査の方法、広報の方法、営業の方法という三つの項目で講演をしてくださった。

そこで一番はじめの講師の方の、市場調査の方法についてのプレゼンの中で、
「調査する前には、まずデザインを作る、この調査デザインが肝心」

という言葉を聞いた瞬間、これまで考えていた事業プランとリンクして、新たなビジネスアイデアが天から降ってきた!そして真白な紙に天からのお声にしたがってどんどんアイデアを書きなぐっていった!  

というのは大袈裟だけど、たった一言が自分の想像力を存分に引き出してくれたことがとてもうれしかった。こんな風に、事業を創る。という目的意識を持って生活しながら、知識や情報を頭に入れていくと、ふと思いも寄らないアイデアが出てくるからおもしろい。また、一緒にやっている仲間からも思いもよらないアイデアが飛んでくるからそこもおもしろい。

今日天から降ってきた事業アイデアが、事業化できて、利益を上げられるかはまだわからないが、思いついたこと、感じたことをどんどん形にしていきたい。
芸術家やアーティストのことをすごいと思うのは、自分の感性とか気持ちを見事に形にして世に送り出していることだ。自分は楽器もできないし、絵も得意じゃないけど、ビジネスというシーンで、自分の考えを存分に発揮していきたい。

2008年4月22日火曜日

上海のジャズバー

BeiXu(ベイシュー)さんという中国人ジャズシンガーと塩田哲嗣さんという日本人ジャズミュージシャン兼BeiXuさんプロデューサーが上海でライブを実施した。

家の前の通りにあるジャズバーの入口に貼ってあるポスターを見てとてもインパクトがあったので、数日前から行ってみようかなあと興味を持っていた。今日の帰り道、時間もあったし興味本位で潜入してみた。ポスターからの期待通り、良いライブだった。

●BeiXuさんの歌唱力
低く腹に響く歌声、リズムの取り方、歌声が会場に響き渡ると同時に、会場がシーンとなり耳を傾けていた。
地元中国メディアでは「彼女はおそらく、ニューヨークでジャズを歌った最初の中国人女性である。」と報じられており、NYを拠点に活躍しており、日本でもCDの販売やライブをしているそうだ。これから注目していきたいアーティストだ。

●同じ日本人である塩田哲嗣さんの姿
上海で仕事をしていて、海外で日本人である自分の存在価値って何だろう?としばし立ち止まってしまうことがあるが、目の前で、中国人や欧米人の客をコントラバスで魅了していく彼の姿を見て、国がどうこうっていうことより、個人、『人物』を磨いていけば、万国共通その人の価値が認められるとでも言おうか、海外での日本人の生き様を見れ、勇気をもらったパフォーマンスだった。あまりにかっこよかったので、演奏後サインをもらってしまった。

たまたま見つけた上海のジャズライブだったけど、BeiXuさんの歌声から感情を引きたてられ、塩田さんの生き様に勇気づけられた良い時間を過ごせた。

2008年4月20日日曜日

上海で開かれたアントレセミナー

先日月曜日上海でJBN主催のセミナーがあり参加してきた。
今回のセミナー、参加費が500元かかったが、3月に東京に行った際、成田空港で偶然出会った講演者である本田直之さんの『レバレッジ人脈術』がとてもおもしろく、また以前読んでいた『パーソナルブランディング』の訳者をされている方でもあるので、是非生で話が聴いてみたいという気持ちが強く、思い切って参加してみた。

上海では日本と違って、自分で出たい!と思うセミナーの数が少ないので、日本で著名な方が来られセミナーをしてくださるのはとても勉強になりうれしいことだ。セミナーの内容は、5人の経営者の方が、それぞれの視点からマネージメント、成功体験などをパネルディスカッション形式で話していくものだった。

5名の経営者の方それぞれが独自の経営手法や、自身で築き上げた価値を持っているようで、成功の法則は人をそのままマネするのではなく、人から学び自分なりの答えを社会に表現していくことかなと思えた。
他人や社会に貢献できる自分の価値を高めていき、人前で話し、多くの人に気づきを与えられるような経営者になろうと、やる気をもらうことができた。

またセミナーでは思わぬ出会いに巡り合えることができとてもうれしかった。

一人目は、タイ株の第一人者として日本で本の執筆もされている方。中国株は既に多くの日本人も興味を持ち始めているが、この方はまだあまり誰も注目していないがチャンスが眠っているタイ株に目を付けてとことんそれに取り組まれている。一緒にお話させてもらったり、その後上海の街を散策されてもらい時間を過ごさせてもらっていると、これまで日⇔中という視点しか持っていなかった自分に気づくことができ何か視野が広がった気持ちになれた。

二人目は、横の席だった上海でテニススクールをやっている方。話を聴いているとテニスがとてもおもしろそうだったので、木曜日早速テニスに行ってきた、木曜日20:30~22:00、ナイターのコートは気持ちよく、気分転換には持ってこいだと思った。大学のころ少しテニスはかじった程度なので、ボールが思うように飛ばなくまだまだ下手くそだ。毎週木曜90分、練習して趣味を一つ増やしたい。

そして、三人目は、こちらでインターネット広告の会社を経営されている方。以前何かのインタビュー記事で仕事以外の時間は野球をやっていると書いてあったことを覚えていたので、「野球僕も好きなんです。」と話すと、「是非参加してほしい」と快く迎え入れていただけ、5月から野球を週1回で再開することになった。

500元のセミナー、高いかなあ。と参加するまで思っていたけど、5名の経営者の方のお話や、3名の方との出会い、とても価値があるセミナー参加となった。
これからも学びに対する投資は積極的にしていきたい。

2008年4月10日木曜日

野球と経営

幼いころから野球をやってきた。

3歳の時に、父に教えてもらい、幼稚園では先生にピッチャーをしてもらい、帰ったら家の前の壁を使って一人でキャッチボールをしていた。

小学校ではチームでの練習に加え、家に帰って素ぶりやティーバッティングを時間を見つけてはやっていた。六年生までチビでヒリキなバッターで、なかなか打てなかったけど、六年生の最後の方にヒットが量産できた。ホームランも初めて打てた。

中学校では、初めて硬式のボール(それまではソフトボール)をマシンで打って、はじめ見学でチームの練習に参加した時、硬式ボールを打った時の手のシビレが痛すぎて、昼休みに父の前で硬式やりたくないと泣いてしまった。しかし練習を続けてマシンのスピードボールにも対応できるようになった。

高校では、1年のころは高校野球においてはパワーの無い小さなバッターだって、学校のグラウンドの端から端までを使ってやるロングティーでは、全然距離が出なく、実践でも結果が出なかった。だけど毎日練習をして、朝練をして、人よりも多くティーバッティングの数をたくさんこなすことを意識していたら、三年生になるころには、ロングティーではボールが端から端までを越えて校舎を超えるまで距離を伸ばせたし、実践でも長打を打てるようになった。

大学では高校までに身につけた技術と自信でサークル野球ではあるけど野球を楽しみながら野球ができるようになった。

毎日続けていればできないことは無い。野球で培ったこの感覚を大切にこれからも生きていきたいと思う。

これからは経営者になろうとしている。まずは業種(競技)を定めて、日々鍛練していけば、野球と一緒で得意になるだろう。どの業種だと野球のように自分を高めることができるか、これも日々追い求めていき自分が覚悟できるように、自分の内なる声を大切にしつつ、知識と情報を集めていきたい。

『人事を尽くして天命を待つ』という言葉があるが、これは、ベストを尽くしたら後は天を待つだけでリラックスしていなさい。という意味ではなく、人事を尽くした時にふと聞こえてくる天の声があるのでそれに従っていきなさい。ということだと龍村仁さんという方が言われていたことから、成長したら成長した分だけその時に見えるものが変わってくる。ということだと理解している。
バットをたくさん振れば、打つべきボールがたくさん見える。身体が打てる!と勝手に反応してくれる。
人事を尽くす毎日の生活が大切だ。

2008年4月6日日曜日

器を広げるために

MIXIの紹介文に起業する目的の一つに『多くの人を幸せにする』っていう言葉を使っているが、使っておきながらそもそも多くのって何?何人?何を持って幸せと言うの。とは感じる。

自分に近い人に自分の存在によって幸せを感じてもらい、その範囲をじょじょに広まり、多くの人に行きつくのかなと思う。そこに行きつくまでに、自分が、自分の会社が提供できる価値を大きくしなければいけない。

まだまだ提供できる価値が少ない今も、例えば、近所の人に挨拶してその人が一瞬だけうれしくなるとか、その一日の仕事のやる気がでるとか、その人が持っていない価値(日本語とか日本酒の知識とか、自分の経験とか)今自分が持っている価値を惜しみなく提供していくことから始めようと思う。

いかなる成功も家族の失敗を償うことはできない。本当に大切な人たちとの関係がうまくいってないといけない。とどこかで聞いた話だけど、自分が大切にできる人を日々増やしていこう。

2008年4月4日金曜日

宇宙ビジネス

土井宇宙飛行士が、有人宇宙施設「きぼう」船内俯瞰室などのミッションを終え、地球に無事戻ってきたそうだ。ホームページで映像が見れるが宇宙で普通に過ごしている姿は何か不思議な感じだった。

また、今年5月には星出宇宙飛行士が細胞バイオなどをするための船内実験、12月には若田宇宙飛行士が日本で初めて3~4か月滞在の実験に飛び立つ予定という。土井宇宙飛行士の滞在は15日で、15日も宇宙!?と思ったが、さらに12月には若田宇宙飛行士は3~4か月も宇宙に行き実験をするのは驚きだ。上海に3か月行ってきます。とはスケールが違う。このニュースをPODCASTで上海を歩きながら聴き、人間の可能性、進化のすばらしさを改めて感じた。

宇宙に関して、スピンインとスピンオフという言葉があるそうで、
スピンイン:民間分野の優れた技術を宇宙に積極的に入れ 宇宙開発計画で活かしていくてこと。
スピンオフ:宇宙の技術を民間の分野に活かしていくこと。(EX そもそも 地球と月との距離を正確に測るものだった技術が、カーナビ、GPS レーザー で活かされている。その他、キリンビールの缶、ミズノのスポーツスパイクでも活かされている。)

これからは特にスピンオフが注目されていき、宇宙での成果を実際の産業に活かしていくことが増え、3兆円規模になることが見込まれているそうだ。進化、新しい価値をとことん追求していく宇宙産業。何か自分も関わってみたい。

2008年4月3日木曜日

『情報』と『知識』

何も無いところからビジネスを創るためには、今何が社会で求められているかを知り、それをどう提供していくか考える。その際に、

『情報』と『知識』 

この二つの言葉が重要だ。
これからこの二つの言葉を優先させ、行動していきたい。
(例えば、中国語を勉強する時、リスニング、ヒアリング、リーディング、スピーキング、ライティング、グラマーと学ぶ分野が分かれている場合、情報、と知識を得るために一番使える、リスニングとリーディングを優先的に伸ばす)

ちょうどそんなことを考えていた時、田坂広志さんが、時間の使い方についての講演を耳にすることができ、大変参考になった。

以下講演内容を参照

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『ウェブ2.0が主流になっていくでも変わらない時間の断り』
過去7年でおこったことが1年でおきるドッグイヤーならぬ、18年で起きていたことがたった1年で起きてしまうマウスイヤーとも言われるこの時代、時間というものがどのように処するかは大変重要である。

世の中ではよく、時間は誰にとっても平等にある。と言われるが、果たしてそれは本当だろうか?
私はそうは思わない。なぜなら、実は時間には二つの尺度があると思うからだ。
一つは長さ。これは誰にとっても平等。一日は24時間、一年は365日。

もう一つは密度。これは実は人によって極めて不平等。同じプロジェクトで同じように過ごしても、何をつかんだか、何を学んだか、人によっては一つだけの知恵を得た人もいれば、人によっては百もの大切なものを学べたということがあるように、同じ時間でも時間の密度は人によって全く違う。

したがって、時間に処するために、時間の密度をどうすれば高めることができるのか?を考えていかなければならない。

時間の密度を高めるために以下の三点の力が重要である。

①感得力 (現在の時間の密度が高まる)
一つの仕事をしている最中、何を学ぼうとしているかと、考えることも大切だが、それだけでなく、感じることの方が時間の効率は速い。直感力、洞察力、対局力。一瞬のことに対応できる力を身につけること。別の人が3時間考えても学べないことがある人にとっては、一瞬の経験が大切になる。感じて、何かをつかみ取る、経験そのものから得られるものである。

②反省力 (過去の時間の密度を高める)
一つの経験を振り返って、心の中で追体験をする。そこから何を学ぶべきか反省する。例えば今日を振り返って、一日何があり、掴めただろうと30分考えるだけで、過ぎ去っていった時間が何倍のも密度にもなる。

③想像力 (未来の時間が高まる)
未来に何が起こるか想像してみる。前体験というのを頭の中、心の中でしてみる。特に、その想像力の中で、ビジネスの基本は人の心を感じ取る力であるから、そこに関わる人たちがどのような人で、どのように心が動くかを考えることは効果的である。

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社会起業家に関する講演といい、上の三点といい、なるほどという感じだ。

①、②、③の考え方で、常に『情報』と『知識』を意識して、自分の視野を今よりも広げたい。早速実践しよう。
人類が身体では無く、頭を使って働いて価値を創出することが多くなってくこれからの時代の進化。この時代に社会に価値を還元できるように、24時間を有効に使い、『情報』と『知識』を集めてきたい。

2008年4月1日火曜日

社会起業家

田坂さんという方の社会起業家についてのスピーチ、説得力があり、社会起業家という言葉に結構しっくりくるものを感じた。

以下田坂さんのスピーチより印象的だった言葉を抜粋
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●なぜ私は世界を変えたいのだろうということです。

●人間の意欲というものは、1つは欠乏感からくる意欲があります。しかし、我々の持ちうる意欲にはもう1つあります。「感謝」から出る意欲です。

●我々は本当にちっぽけな存在なのでしょうか。欠乏感で生きていく人間なのでしょうか。そうではないと思います。

●60年戦争の無い時代を生きていて、世界第2位の経済大国で、科学技術は最先端で、高齢化社会 が悩みとなるほど長寿で、誰もが高等教育を受けられる。

●世界中のメディアがWEB2.0革命を論じている中、一番大事な変化はなんでしょうか。ボランタリー経済、あえて日本語で言うと善意の経済が広がってきていることが、私は一番大事だと思います。

●ヘーゲルの弁証法であるように、世界は螺旋のように発展しています。上から見ると同じところに返ってきているのですが、実は一段高いところへと発展しているのです。今、我々が見ている経済は昔の贈与経済とは違う。

●そしてその反対にあるのが今、この場のテーマである社会起業家です。ここにボランタリー経済とマネタリー経済の見事な融合がある。

●社会に貢献すれば利益を上げるのではない、社会に貢献するために利益をあげるのです。

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なんで起業したいのだろうと考えると、社会に進化をもたらす新しい価値を提供しすることで社会にコントリビュート(貢献)したい。っていうところかなあと思っている。
田坂さんの言う、ボランタリー経済とマネタリー経済が見事に融合しているという今の時代に、自分は何をもって、社会にコントリビュートできるのだろうか、これから考えていきたい。

上を考える時、なんで進化しないといけないの?と思うが、昨日読んだ松下幸之助さんの本には、『天地自然の中から真理を見出そうとする。生成発展して、繁栄する社会を作るというため。』と書いてあった。もっといろんな本を読んで自分なりの答えを探したい。

2008年3月29日土曜日

なぜ起業したいのか

なんで起業をしたいのだろうとここ数日考えているが、なんとなく自分なりの答えが見えてきている。

『新しい価値』、『イノベーション』、『自分達にしかできないこと』。っていう言葉を起業をするにあたりキーワードに、アイデアや知識のパワーを使って、パイオニア、冒険者のように新しい領域へ進んでいき社会にコントリビューション(貢献)していきたい。から起業したいのかと思う。

もちろんお金も稼いでみたい。ただ、起業をする目的が、お金を稼ぐことだけなら、そのサービスや商品の需要がある市場で、誰かがやった同じ価値を同じように提供していけばよく、世の中にどんなインパクトを与えただろうかと考えてしまう。それなら自分でやならくても、その会社の人がやるし、その価値を創出したいならその会社に入ればいいって話だ。

社員や投資家、ライバル企業、関連会社、消費者がドキドキハラハラ、神秘的なものへ期待に胸をときめかせられるような新しい価値を生み出し、人類に役立つ可能性を追い求められる事業をいつか創ってみたい。目標は30歳までに!

2008年3月26日水曜日

東京滞在NO2

東京での6日間で学んだこと6点。

■社会にとって、インパクトがある事業を創ろう
■相手と向き合う時は、いかにしてその人の才能を開花させようと考えるようにしよう。
■大きなビジョン(大義名分)とお金を稼ぎたいっていう2つの項目を対立させて考えるのではなく、別の円として考え、2つを最大限に目指そう。
■自分が何をやりたいのか、もっとはっきり、自信を持って表現しよう。
■目指すはインターナショナルとかグローバルとか、言わないで、実施することで自然とインターナショナルなりグローバルになっていくような、大きなテーマを見つけよう。
■もっと考える時間を増やそう。考えて考えて、自信+ロジック=すばらしい事業 を達成できるようになろう。

24歳と9カ月、まだまだ成長していかなければ。
仲間が大学を卒業した。新たな旅立ちに出る彼女、彼らを応援すると同時に、価値を提供できるように自分も伸びていきたい。

2008年3月25日火曜日

東京滞在

東京から帰宅。

研修、FB総会、会った人との会話、

学び多き6日間だった。

自分が結局何をしたいのか、考えすぎるほど考えて突きつめて、
行動を始めるべきだと分かったことが一番の収穫。

上海で新たに頑張ろう。

2008年3月19日水曜日

新しい部屋

上海に来て、三回目の引っ越しをした。広島の実家を離れ、自分で家を借りてすむのは大学1年生のころからだけど、かれこれこれで8回目の引っ越しになる。

大学一年 ロフト付き1DK
はじめて一人暮らしができとてもうれしかったことを覚えている。
大学二年 3LDKで一か月50000円
昭和風の家。ちょっとかわった安くて広い部屋という条件で探した結果見つけられた。
大学三年 上海のボロボロアパート
82歳の上海のおばあさん(他人)と玄関を共有するタイプ。上海の生活観に触れられる体験だった。
大学三年 上海のマンションで友人とシェアリング
留学仲間であり学生団体の仲間でもあるT氏との3ヶ月間ながら実りのある生活だった。リビングにはいつも日中の団体仲間が集まりミーティングを開き、T氏との共同で小さな書斎を作った。
大学四年 京都鴨川沿いの女性専用マンション
カナダに留学していた妹の部屋に居候
社会人 上海のマンション
    フランス風歴史建築物認定アパート
どちらも上海ならではの建築だった。

今回の家はなかなか気に入っていて、4階建の一軒家の3、4階を使わせてもらうというなんとも複雑な家。1階には三世帯が住んでいて、2階には昼間はパソコンの前にかじりつきの元大学教授、現個人投資家といった構造。

小学校のころから、自分の家に誰かを呼ぶのは結構好きなんだけど、この家もそうなればいいと思う。理想の家は、犬を飼えて、絶え間なく刺激的な知り合いが遊びに来て、光が多く入り、自分の個性を表現できている家。早速自分らしい部屋づくりを始めたい。

2008年3月13日木曜日

仕事と事業

「仕事と事業は違う。」

この言葉を聞いた時はいまいち意味が分からなかったのだけど、最近やっと分かってきた気がしている。

仕事→自分で作業をする。与えられた役割を自分の専門知識を武器にこなす。
事業→多くの人が作業できる仕組みを作る。役割を与える。作っては直しを繰り返す。

経営者には、後者の事業をする。という考え方と、能力が欠かせない。仕事と事業、使う頭の場所が違うというか、鍛えるべき能力が違うのではないかと思う。

組織をつくることのメリットは、一人ではとてもできないことができるようになること。だと学生時代に作った学生団体を思い返して感じる。

事業を作れる専門性を是非とも身に付け、多くの人が楽しく働き社会に抱える問題、を解決していき誰かの進化に役立つような経営をしたい。

2008年3月12日水曜日

うれしかったこと

大学のころ仲間と立ち上げた団体の後輩が団体の今後について話し合うのでということで、夜彼らが泊まっているホテルでのMTGに参加してきた。

これまでは、団体がどうなっていくのか不安で、何かヒヤヒヤしながら後輩と話していたような気がしたが、その夜は彼らが語るビジョンや、行っているMTGの態度からこれまでに感じたことのない、後輩から感じる可能性のようなものを感じ、こちらがワクワクさせられうれしかった。

08年8月に向け、これから上海、東京、京都で同時進行で運営が始まる。自分達が活動していた0506年より大きく育っていく団体をこれからも見守っていたい。

卒業生として彼らにできることは、彼らが何かを尋ねて来た時、自分の力を必要とされた時、気づきを与えることができるようなアドバイスやコミュニケーションをすること。卒業生でこんなに活躍している人がいる。ということを社会で表現し刺激を与える。団体の成長を祈る。というところだろうか。

今回感じた可能性が、また次彼らと会う時もっと大きくなっていることを楽しみにしている。

2008年3月9日日曜日

祖父の誕生日

父方の祖父が今日3月9日(サンキューの日)でめでたく92歳を迎えた。家族が祖父を囲ってケーキを食べている時に家に電話すると、元気そうな祖父が電話に出てくれ「100まで生きるけんの。上海万博の準備はすすんどるか?時代は変わるのお。時代についていけんわい。元気でがんばっとるけんの。」ととても元気そうな声を聞かせてくれてうれしかった。

数年前までは、家の前に座ったり、銀行に出かけたり、実家から少し離れた昔の家の修理をしたりと外出をしたいたが、ここ最近はずっとベットに寝ていている。だけど、ベットの上で、NHKのニュースを見たり、新聞を読んだり、語学の教科書を読んだりして、92歳になっても学ぼうとする姿勢を貫き続けている。

最近、歴史のある会社はどうやって生まれていったのか?ということに興味を持ち、エクセルに1856年(安政三年)から2008年(平成20年)と縦軸に打ちこみ、横軸には、歴史ある会社の経歴や、社会の出来事を書きこんでみていた。
それをしていると、今自分がここに存在するまでにどんな出来事があったのだろう?と興味がわき、その年の自分の年齢、祖父、父、母、の年齢、も横軸に記入し、自分が生まれる前のバックグラウンドを見える形にしてみた。

大正5年生まれで、大正、昭和、平成時代を生きている祖父は、法人化されたばかりの会社への入社、日本全国への支店の設立、満州国の支店開設のための出張、出兵、戦争の焼け野原、など日本の成長、繁栄、衰退、復興を経験している。

自分と同じ年だった24歳の時、昭和15年には何を見ていたのだろうか。どんな環境で生きていたのだろうか。祖父がどうな大志を抱き生きてきたのかは分からないが、自分たちが生きている平和な日本は、祖父や祖先の活躍が無くては考えられないことだ。

この時代に生まれた自分は、祖父や祖先の努力を無駄にせず、それに頼るだけにならないよう自分も今やらなければならないことは何なのかを自問し、自律し、人格を養っていきたいと思う。

おじいちゃんおめでとう!これからも健康に長生きしてね!

2008年3月7日金曜日

朝の学習時間

最近、起床→洗面→着替え、ですぐに家を出発し、家の近くの珈琲屋に行き朝食&読書をすることにしているのだが、これがなかなか上手くいっている。7時30~9時まで読みたい本を読みそれから出勤する。

朝決まった時間に起きるには、朝にやるべきこと(お客さんとの待ち合わせ)や本当にやりたいこと。があるのが一番よい。(小学校のころ、運動会の日は自然と早起きをしたような感覚)ということが分かり、今一番読みたい本を朝読むことにしている。

本を読んで、仕事に活かせること、実践したいことがあれば紙に書き込みそれをファイルに閉じていく。そのファイルに書いたことは、一日中意識して、実践に近づけていく。

不思議なもので、珈琲屋で朝を過ごすことで、頭が活性化しているせいか、ポッとやりたいことが頭に浮かんだり、おもしろいと思えるアイデアが出てくる。

朝の学び(INPUT)を昼、夜で実践(OUTPUT)するこの習慣を続けていきたい。

2008年3月4日火曜日

『大地』をいただいた

先日上海でお会いした、日本の全国で学習塾を経営されている方から昨日本を届けていただいた。
タイトルは『大地』1930年ころの中国のある一家の繁栄と衰退を描いた作品だそうで、中国のことを理解するにはもってこいだということだ。

全四巻、わざわざ日本から送っていただき(しかも新品で!)とてもうれしい。Hさんありがとうございます。
早速昨晩から読み始めたが、風景を頭にイメージしながら読み進めることができる、臨場感あふれる作品のようだった。

H社長は0から全国規模の学習塾やカルチャースクールを立ち上げ経営されているそうで、起業秘話を聞かせてもらい、一緒に上海を回りチャンスがどこにあるのかを見極める鋭さも感じ、夜中でもメールは必ず返信する仕事に対する取り組みを見れとても刺激を受けた。

本4冊に加え、簡単なメッセージが入っていたのだけど、カタカナでサインが書いてあり、ありがたさと同時にカラッとしたかっこよさも感じれた。
自分もあんな経営者、教育者になりたいものだ。

2008年3月3日月曜日

2008年2月22日金曜日

友人の結婚式(2008年2月11日)

小学校からの幼馴染、けいすけが結婚するので、実家の広島に帰った。けいすけとは、小学校のソフトボールチームの同僚で、中学校まで一緒に野球をし、その後も時間があっては時を共にしてきた。結婚秒読みであることは知っていたが、メールをもらって改めて、ついに結婚か。と感慨深い気持ちになった。奥さんとは学生時代から知り合いで、バレンタインデーには義理チョコをいただいていた仲だ。けいすけの家族ともソフトボールチームのころから親しくしているので、喜んでいる姿が想像できた。

結婚報告のメールが来た時、仕事の都合をつけて日本に帰れるかな?と少し不安だったが、人生に一回の小学校からの球友けいすけを祝いという気持ちで、「任せて!」と勢いに任せて返信メールを送った。その後のメールで、「遠く中国から来てもらうけぇ是非見せ場をと…っつーのは冗談で、真面目に忙しいのは承知なんやけど、スピーチを頼めないか?」と言ううれしい頼みごとをされなんとしても広島に帰って結婚式に出席しようと予定を立てた。

結婚式前日、スピーチ同様中学校時代の同級生と余興を頼まれていたのでその作戦会議兼、飲み会を開いた。広島駅に大阪や出張先から戻ってくる友人を車で迎えに行き、総勢7名のけいすけの友人が集まった。余興で何をするか決まっていなかったので、とりあえずドンキホーテに豊富に揃う余興グッツを見ながらイメージを広げようと買出しに行った。結局、けいすけは自分でガチャピンに似ていると言っていたことを理由にガチャピンの着ぐるみ(3900円×7着)ガチャピンのマスク(900円×1枚)を購入し、地元の居酒屋に向かった。(この着ぐるみ7着はそれぞれの家で冬季の寝間着になっているだろう)

居酒屋ではガチャピンの着ぐるみを横に置き、さて、、何する?としばしアイデアを絞った。結果、この着ぐるみを着て、小学校のころの野球チームの名前がガッツだったため、行進して入場し、ウルフルズの『ガッツだぜ』をエアーバンドで演奏しよう。とアイデアがどんどん膨らんでいき、みんな翌日の大爆笑をイメージしつつ午前2時ごろ解散した。

夜中帰宅し、余興の行進用のプラカードを夜更しして映画を見ていた父にも手伝ってもらい作り(プラカードの持つところが紅白になっている)、その他必要な小道具を揃えていった。そしてその一方で、上海からの飛行機で考えたスピーチの最後の練習を進めていった。

結婚式当日、父からのお下がりのスーツに今日はブレザーとセットのベストと、胸ポケットにはネクタイとおそろいのハンカチを入れ、10時からのチャペルに向かった。けいすけの男らしい後姿とご家族のうれしそうな表情、そして奥さんのあやこさんの涙ぐむ姿を見て自分もぐっとくるものを感じた。花びらをバージンロードのけいすけ、あやこさんに放ち、無事チャペルは終了した。

そして披露宴、学生時代この場でバイトをしていたことが2人の出会いのきかっけということもあり、現場を熟知している2人らしい工夫が凝らされた披露宴だった。式が着々と進み、新郎友人代表からのスピーチが回ってきた。実は、式が始まってから緊張のあまり目の前のご馳走ものどを通らず、スピーチのイメージトレーニングと原稿を読み直していた。

名前を呼ばれ、前に向かった。原稿を読みながらでは何か面白みが無いので原稿無しでスピーチすることにした。けいすけとは小学校からよく喧嘩をしたけど翌日には仲直りをした思い出話、口下手だけど誠意を行動で示すところが自分は大好きであること。けいすけのお母さんは上海までわざわざ呉の情報誌を送ってくださる優しい人であること。奥さんにはけいすけと付き合っていた学生時代バレンタインのチョコレートをもらったのでその奥さんが結婚することは正直嫉妬してしまうこと。ただ、けいすけのことは好きなので、けいすけとあやこさんで幸せな家族を創ってほしい。という内容にした。満足してもらえたかは分からないが、自分のおめでとうの気持ちをけいすけ、あやこさんに、会場の皆さんに伝えたつもりだ。

そして会は進み、次は余興のため、外に出て衣装チェンジを始めた。ガチャピン7頭とガチャピンのマスクの指揮者1人、奇妙な集団が緊張の中会場外で出番を待った。そして本番、沸く会場を横目に元気良く会場にプラカードを無理やり持たされたけいすけのかわいい弟ゆうきを先頭に行進で入場し、ガチャピンの格好して『ザ・ドラえもんズ』と言い張るエアーバンドチームは精一杯の演奏をした。反応は、、まあスベッていたとの声もあるが、けいすけ、あやこさんは喜んでくれただろう。けいすけからは、スベッていたかは置いておいて、その頑張りが嬉しかったよ。と温かい言葉をもらえた。

実は、スピーチ前の緊張感からか、前日のハードスケジュールからかで何か身体がおかしい。と思っていた。スピーチを終えて、余興を終えて、緊張感が一気に開放されたとたん体調がおかしくなっていった。式が終わるころにいよいよめまいのようなものを感じはじめていた。本当なら2次会にも駆けつけ、ガチャピンの着ぐるみを着てけいすけを祝たい気持ちだったが、2次会からはホテルのソファーで一人ダウンしてしまった。体調はいよいよ悪くなってしまい、そのままソファーで横になっていた(ホテルの方々には迷惑をかけてしまった)2次会が終わり、けいすけや友人が探しにきてくれ、けいすけに最後におめでとうと言い、そのまま同級生のお父さん(ソフトボールチームのコーチ)に車で病院に運ばれた。なんとそれから高熱に魘され、入院をしてしまった。

入院をしたのは初めてだったが、入院中は、新婚旅行にでかけているけいすけ夫婦、けいすけママからの電話やメール、同級生の見舞い、たまたま看護士をしていた高校時代の野球部の後輩との会話、上海への帰国が延期となったため上海の友人のフォロー、家族の助けなど多くの人にお世話になった。2日間入院し、上海に戻る日程も延期させ、なんとか回復した。

体調を崩してしまい2次会から参加できずけいすけ、あやこさんには申し訳けなかったが、帰国して参加して本当によかったと思えるすばらしい結婚式だった。自分はまだ結婚をしていないので、結婚生活がどういうものなのか、なかなか想像できないが、けいすけらしい、温かい家族をあやこさんと築いていってもらいたいものだ。


                         2008年2月