2008年10月29日水曜日

働く報酬とは何か?

『ラジオの街で逢いましょう』で田坂広志さんが仕事の報酬について話されていた。出版された著書『仕事の思想』についての説明をしており、働くということは、生き残りのためでも勝ち残りのためでもなく、もっとすばらしいもののためではないか。すばらしい何かのために働いているのではないかということを伝えたいので出版した。また、仕事の報酬には、目に見える報酬と目に見えない報酬があると考えている。という内容だった。この目に見える報酬と、目に見えない報酬という分け方は参考になる整理の仕方だった。

●目に見える報酬
例えば:お金、役職、年収、地位
特徴:ゼロサムなもの、数に限りがある
獲得の方法:結果としてついてくる報酬

●目に見えない報酬(究極)
例えば:仕事の働き甲斐、職業人として腕を磨く、人間としての成長を実感すること(心が満腹になる感覚)、人間との出会い
特徴:ポジティブサムなもの、みんなで増やせる
獲得の方法:自ら求めて得るべき報酬

マズローの五段階仮説で言えば、
(第1段階: 生理的欲求
 第2段階: 安全・安定の欲求
 第3段階: 所属・愛情欲求/社会的欲求
 第4段階: 自我・尊厳の欲求
 第5段階: 自己実現の欲求)
目に見える報酬が、第4段階(他人から尊敬されたいとか、人の注目を得たいという欲求で尊厳の欲求ともいわれる。名声や地位を求める出世欲も含まれる)に相当し、目に見えない報酬が第5段階(各人が自分の世界観や人生観に基づいて自分の信じる目標に向かって自分を高めていこうとする欲求のことで、潜在的な自分の可能性の探求や自己啓発、創造性へのチャレンジなど)と言えるだろうか。

対談の最後には、資本主義が主流の世の中ではここ数年、目に見える報酬を重視する傾向に見られたが「私は資本主義はいつの日か(今のように主流ではなくなり)エピソードのようにして語られると思っている」と豪語されていた。

確かに、前のブログで紹介した金融セミナーに参加し、資本主義の象徴であるこれまで世界の金融、経済の中心だったアメリカが衰退していっている今の世の中、世の中無常で永続的に続くものなんて無いんだなあと実感させられた。これから資本主義に代わって新しい何かが生まれるかもしれない。自分はまだまだ目に見える報酬も見えない報酬ももらえるものならどちらでもほしい。っていうのが本音なくらいのレベルだが、これからの時代、目に見えない報酬が重要視されるのではないかというこの考えを頭の片隅に置きながら仕事をしていきたいと思う。

2008年10月26日日曜日

第一回上海大会グローバル都市競争の時代 感想

上海の上海環球金融中心(森ビル)で開催された第一回上海大会グローバル都市競争の時代~経済成長と環境の調和を目指して~を視聴してきた。事前申し込みの際、申込みの期限を過ぎてしまっていて視聴できないはずだったが、参加している友人から「午前の時点で席に余裕があるから午後から今来れば入れるよ!」とありがたい連絡をもらえ、午後から視聴できることになった。これだけ「超」が着くほどの有名な講師の方々が上海で話すセミナーは上海では滅多に無いので期待を胸に今年ついに竣工した浦東の森ビルへ向かった。テーマはサブプライムに端を発する世界金融不安の中、これから日本と中国はどういう方向で進んでいくべきか。ということが中心だった。

中でもおもしろかったのは最後に設けられたパネルディスカッションだった。
以下、備忘録として書いておく。
※( )に人物名を入れているのはその方がそのまま話した内容ではなく、その方から自分なりに学んだことを書いているので、詳しい議事録などはNHKインターナショナルや日経新聞社などが出すであろう議事録を参照されたい。


テーマ :「国際金融都市の条件」パネリスト :森 稔氏(森ビル 代表取締役社長)
宮内 義彦氏(オリックス 会長・グループ CEO)
斉藤 惇氏(東京証券取引所グループ 代表執行役社長)
胡 汝銀氏(上海証券取引所研究中心 主任)
モデレーター :竹中 平蔵氏(日本経済研究センター 特別顧問慶應義塾大学 教授・グローバルセキュリティ研究所 所長)


≪サブプライムの発端≫
■ウォール街発の透明度が分からない(ウォール街の金融業社の人ですら分かりにくい)金融フォームや金融業社が利益を上げたいというインセンティブで信用力の無い人に押し付け社会に過度に創造された「富」がサブプライム問題を引き起こしウォール街のイメージが壊れていった。(斉藤氏、胡氏)

≪これまでのアメリカ中心の経済システムが壊れつつある≫
■アメリカが金融の中心のためアメリカ企業の高収益性が保て→それによりアメリカ市民の購買力が高まり→海外からの輸入が増える→日本や中国など海外の外貨準備高が増え→またそのお金がアメリカに流れるというお金の流れだったが、それが崩れアジアを始め全世界にその影響を及ぼしている。崩れた金融システムは再び元には戻らないだろうから新しいシステムを作りなおさないといけない。(宮内氏)
■金融と実体経済は例えば鉄鋼業界、携帯業界、食品業界と業界ごとにルールがあるが、金融とはあらゆるものに張り付いているものでさらにグローバルに広がっているもの。そのため世界共通の管理体制を引かなければならない。しかし現実問題各国の当局の動き「私の国は他の国と違うんだ」と言い合い国境の壁がある。(宮内氏)

≪アメリカではない金融都市の待望が望まれる。日本や中国が世界の金融の中心になれないか?≫
■ウォール街のように金融技術を高めるのでなく実態経済の実力を高める金融システムが望まれる。(宮内氏)
■自分の国だけ儲かればよいという時代ではなくグローバルに考えていかなければいけない。(斉藤氏)
■日本と中国の外貨準備高は合計で3兆円~4兆円近くあるがほとんどがドルで貯金されたもの。日本や中国独自の金融市場を発達させて、アジアの通過を世界に使わせるべきではないか?莫大な金融市場を持つ日本や外貨準備高の高い中国、また石油産油国などお金の蓄積ある国(マザーマーケット)が引っ張っていく今こそチャンスであり、責任を背負う時ではないか?(宮内氏)
■上海には30年住んでいるが、アメリカンスクール、イギリススクール、日本人学校など教育機関は充実している。空気や安全はまだ問題はあるが数年もすれば解決するだろう。グローバル企業の人が上海に赴任すると15%給料を上乗せされるので待遇面もいい。中国人は昔から、日本や韓国と違い、外国人を受け入れてきた。実際その証拠にオリンピックを成功させている。上海人の若者は英語しゃべれる人が多い。(胡氏)
■上海にするか?東京にするか?というゼロサムな議論ではなく、WINWINゲームを考えるポジティブサムな議論が必要ではないか?上海、香港、東京などなどアジアの金融機関の長所を生かし、24時間体制で対応できる新しい証券取引所を作ってもいいのではないか。(馬氏)

≪日本は世界金融の中心になれるか?≫
■資本主義である以上、自分の国を金融センターにしたい都市が無いはずがない。日本はこれまで円が安くならないと不況になる(円高不況)言われていたが、日本には強い産業があるので円はもっと強くできるはず。円が強くなるから日本の景気が良くなるという流れにしなければならない。国際金融センターになるには成田空港が都心から遠いなど問題はあるが、一つ一つ解決していけば日本はきっと大丈夫だ。(斉藤氏)
■金融センターになりたいと言うには、相当な覚悟がいる。政治、中央銀行が揃っていないと危ないのではないか。あのアメリカやロンドンですらこのような事態を引き起こしたことは肝に銘じるべき。(宮内氏)
■世界金融センターはアメリカ、ロンドンが数百年に渡って務めてきたが、背景には様々な「自由」があった。日本も「自由」な国にチェンジするべきだし今こそ挑戦する時だ。そうしなければ現在のままの(アメリカ依存型の)ビジネスはこの先持たないのではないか。日本を世界の金融センターにする。という夢と覚悟が必要だ。また、日本はそれだけの責任を負うべき国なのではないか。「自由」を創るために例えば東京だけを特区にするとか方法を考える。(斉藤氏)

≪金融都市はいかにして作るか≫
■金融とは人材獲得競争とも言える。そのため金融TOPの人が求めているものに応えられる住みやすいと思える国を作れるかが重要。それは仕事に限らず、娯楽、健康、教育と多岐に渡って考えなければならない。上海は海外の人からどのように見られているかまだ分からないが、東京は行きたくない国と一部では見られていることは事実。都市がヒートアイランド現象を起こしてしまっている。(森)

≪今後について≫
■観光と言えば富士山を見るとか温泉につかると言った自然を思い浮かべるかもしれないが、外国人が日本に旅行する時、東京にまず行くように実際は都市観光こそ観光だと思う。都市である東京も上海も観光客の受け入れが足りない。大きな文化産業なので伸ばしていきたい。あ、あと上海万博跡地とかを有効に活用させていただきたい笑(森氏)
■今回のアメリカの金融危機と同じ過ちを繰り返さないためにも、中国、日本はローカルな金融市場の発展が重要。アジアにおいて極めて重要なポイントである。(馬氏)
■日本の東京、大阪、京都などの都市は数百年の歴史の中で、権利意識は強いが、対立しないように発展してきた分厚い都市になっているので外国人は住みやすいのではないかと思うので排他的な、輸出立国円安OKという日本はやめるべきで、日本人はこれまでの蓄積をどんどん使うべき。円高が良いと言える経済を作るべき。そうしなければ次の世代の未来が無い。(宮内氏)
■日本と中国の歴史は遣唐使の時代にさかのぼる。今の日本の奈良を見れば長安を思わせる。戦争という歴史はあるが、長い目で全体の流れを見れば二国の関係は良いものと言えるのではないか。日中関係は相互補完関係になり、例えば日本の建設の細やかさとか中国にどんどん入れてほしい。(胡氏)
■現在実際にパンダーという商品名で東京と上海で具体的なビジネスを始めていることを知っていただきたい。1500兆円もあると言われている日本のお金で中国の新興市場に投資していきたい。東京の金融市場は英語を使わないことが一つの問題であるが、これからロンドンとともに英語を使った取引所を作るので英語の壁は取り払われていく。(斉藤氏)

≪竹中氏総括≫
■20年前バブルの時代、東京が金融中心になるべきではと思っていた。その際、金融都市とは何だろうと考えたが、以下三つが該当した。①場所貸し的な使いかっての良い国(ロンドンがそれで、香港、シンガポール、ドバイ、アイスランドなどが続いた)②国内に強い金融機関を持っている(ドイツのフランクフルト)③①、②を両方持ち合わせている。しかし、今ではこういった色分けは意味が無くなっている。今までの金融機関の在り方自体が問われてきている。日本や上海には新しいあり方を示す責任とチャンスが課されている。
■アジアはこれまで雁行型経済(日本の後を韓国、中国、ベトナムが追いかける)だったが、これは崩れ、カエル飛び型経済(ITでは韓国が、英語教育では中国がリードしている)に変化している。形は変わっているが、いずれにしても、国や個人の交流は大切。特に知的な交流はとても重要なのでこれからもこのような機会は設けていきたい。(竹中氏)


自分として特に印象に残った感想は以下
■日本と上海はこれからアメリカやロンドンに頼らず自分たちで金融システムを作っていく必要がある。
■携帯事業とか鉄鋼事業とかの実体経済は各事業ごとでそれぞれの規制が作れ、比較的管理しやすいが、金融はどの事業にもくっついていおり世界に広がっているため影響力が大きい。
■森ビルとしては14年かけて浦東に上海環球金融中心を作ったが、実際上海が思った以上に金融都市にまだなっていないため少し焦っている。
■日本は世界を代表する金融センターになるべく、国をあげて努力していかなければならない。そのために、外国人が住みたくなるような国作りが大切。金融センターになりたいというのは中国も同じように思っているので、そこで中国⇔日本と張り合ってしまわず、アジアのリーダーとしてWINWINの道をさぐるべきでは?

正直なところ金融の世界はまだまだ理解しきれていないので、議論についていくことでやっとだったがこれだけ国際金融のことを一日で学べたことは大変価値があった。また参加者にはもれなく、日経新聞出版社の『ビジネスプロフェッショナルの仕事力』が無料配布され帰り道で読んだが、今後世界はどうなっていくのか、何が起こるか仮説を立てながらビジネスを行っていくことが重要であることが中心に述べられており、こちらも勉強になる一冊だった。

Gメールから携帯へ絵文字が送れる

Gメールから携帯へ絵文字が送れるようになりこれから日本の友人とより楽しく連絡できそうでうれしい。詳しくはこちら

早速、「このアドレスからでも絵文字が打てるようになったよ(絵文字)」と久々の絵文字入りメールを家族や友人に送信。すると早速姉のドコモの携帯から見たこともないようなケロケロケロッピやアンパンマン、かわいい犬等バライティ豊かな絵文字メールが返ってきて、こんな絵文字見たことない!と驚いた。

仕事上ではさすがに使えないが、家族や友人との日々の何気ないメールだけど、自分の気持ちを表現しやすくなるし、楽しみながらコミュニケーションが取れるのでこれからどんどん活用していきたい。

通信手段が発達してくれると上海に住んでいるが日本との精神的距離が近くなるのでありがたい。これから更に海外で働きやすくなりそうだ。グーグルジャパンに感謝感謝。

2008年10月17日金曜日

温州へ 

急遽今晩夜行列車で温州に行ってみることにした。温州は実家の広島の呉市と友好港の提携をしており人の交流があり、温州人と言えばビジネスが上手いと中国人にも一目置かれておると聞いていたので、中国にビジネスをしにきたからには一度は見てみたいと思っていた。

その温州になぜ今日行くことになったかは、昨日たまたま「世に棲む日日」司馬遼太郎著を読み、主人公の吉田松陰が矯激な行動家だったということに触発されたからだ。

「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ずずれんと欲せば、先ず地理を観よ」(解説:まず地理的環境をくわしくみれば、そこに住む人間集団の大体がわかる。その人間集団ー社会の解明をはなれて、事柄というものは出てこない。ゆえに、社会と社会現象を見ようとすればまず地理から始めなければならない)
「世に棲む日日」司馬遼太郎著 本文より

この言葉にあるように、小説の中で吉田松陰は山口で生まれ、修行を積み大人になるとともに、佐賀、長崎、奈良、江戸、浦賀と自分の足だけで志を立て刺激を求め動きまくる。そしてそこから新しい情報を手に入れ、自分の志や知識と照らし合わせこれからの日本がどうなっていくべきかの提言をしていく。
その姿がとてもまぶしく、ロールモデルにしたいと思った。

温州で何が得られるかは分からないが、現実の社会を見つめ、現地の人とコミュニケーションをして、ここともし仕事ができるとしたらどういう感じになるだろうかとイメージをしながら、温州の街を歩いてみようと思う。20:40上海南駅発の夜行列車で温州には明日の朝6:00に到着する。

2008年10月16日木曜日

名言

「かたちは、心である。」

         玉木文之進(世に棲む日日 司馬遼太郎より)

書物のひらき方がぞんざいであったとか、両手で書物を掲げ、手をまっすぐにあげて朗読せねばならぬところを、ひじがゆるんでいたとか、形の上でのことを吉田松陰の第二の先生であり、形式から精神に入るという教育思想の熱狂的な信奉者、玉木文之進は吉田松陰に厳しく教えた。

本を読む姿勢とか、人の話の聴き方とか、ご飯の食べ方とか、誠意を持って挑めて無い時の自分の姿を思い返すと確かにそうだと思える一言。

ぬるま湯のカエルにならないために

大学の頃の後輩と久し振りに会うことになり、人民広場へ向かった。彼とは、学生時代に活動していた学生団体がきっかけで知り合い、かれこれ3年の仲だ。今は上海に留学しているが、普通の留学では物足りず、日本人留学生が少なく、モンゴル人の留学生が多く在籍する大学に転校し、アジアで活躍できる人になるという目標に着々と進んでいる。

数か月前同じく彼と食事した際、二人で見つけたウイグル料理屋に再び行くことになり、羊肉の串焼き、羊肉の炒め物、リンゴの砂糖飴炒め、卵とトマトの炒め物、ウイグルビール、などおいしいウイグル料理とビールをおかずに話が盛り上がった。

活動している学生団体のこと、今年の夏に実施した学生イベントの感想、団体メンバーのこと、思い出話、留学の話、今の悩み、仕事の内容、将来のビジョンなどなど、数か月合わなかった間にお互いに起こったこと、思ったことなどを高速でお互いインストールするかのように話し込んだ。

その後、外灘のバーへ。以前中国人の先輩に教えてもらったこのバーは、場所が一等地なだけにお酒の値段は少し張るが、これぞ上海という外灘が一望できる景色が楽しめるのでお気に入りの場所だ。ここでも、引き続きそれぞれの想いを話した。

今日の話で一番印象に残ったことは、「上海や世界に出てみると、日本がとても小さく思える。これからアジア各国が更に力をつけてくれば、この感覚は更なるものになるだろう。」という後輩の言葉から始まった日本のこれからはどうなるのか。日本人の自分たちはこれからどうして生きていくべきなのか。ということだった。先日、上海の大手日系企業で上海駐在されている50代の方とお話をする機会があったが、その方も同じように、「日本にいた時は自分の会社はものすごいと思っていたが、いざ海外に駐在で出てみると、自分の会社がほんのちっぽけなものでしかないということを知ってしまい、その企業が一生自分をお世話してくれるものだと思っていた自分の考えを改めた。」と話されていた。

日本にいると、あらゆる分野で整備や整理が進み、良質で安全な商品やサービスを受けられ、平和な生活に身を包まれ、つい向上心を奪われてしまう。しかし、上海に来るとヒシヒシと発展を遂げ、巨大都市上海に成っていく現実を目の前にし、残されないように頑張らないと。と思わされる。ぬるま湯に浸かっているカエルはそのままお湯の温度を上げていっても気持ち良くてお湯熱くなったころにはそのまま死んでしまうが、熱湯にいきなり浸かったカエルは熱さに驚き飛び出て命を救われると聞いたことがある。豊かで平和な日本はこのたとえ話のようなぬるま湯気持ちよく浸かるカエルになりかねない。

明治の日本人がそうであったように、僕たち若者一人一人が、自分という存在はこの世に生まれてきた間にどんな旗を掲げたいのか熟考し、それが見えたら達成するためにひたすらに駆け抜けていき、「志の明治時代」と言われていたように、平成の日本はすごかったと語り継がれるように動いてみたい。決してぬるま湯のカエルになることがないように、日々向上心を持っていたい。

 写真はバーからの外灘の景色 森ビルが完成し、夜景がパワーアップしている。 

2008年10月15日水曜日

名言

平生業成【へいぜいごうじょう】

            親鸞

平生:死んだあとの来世ではなく、生きている現在という意味
業:人生の業、行為という意味。他力の信心を獲得すること。
成:成し遂げること、成就という意味。

生きている現在に、他力の信心を獲得すれば、往生が定まる。来世ではなく、今生きる現在を大切にしなさい。と言う意味らしい。不確定な未来や死んだ後に不安を持つより、一度しかない今をめいいっぱい楽しみたい。

2008年10月12日日曜日

あにゃん

一か月日本に帰るため、杭州の猫友達フォンさんにあにゃんを預かってもらっていた。『猫を預ける』先日上海に戻ってきて、週末に杭州に行きあにゃんと再会しに行くということになっていた。しかし、2日前フォンさんから「昨日からあにゃん、ミーミー、カーちゃんがいなくなってしまった。」とメールがきた。どうもフォンさんは最近引っ越したそうで、環境が変わったことが猫3匹が家出してしまったの理由のようだ。

あにゃんがいなくなってしまったことも気になったが、それよりフォンさんが溺愛していたあにゃんより1か月早く生まれた白の2匹の子猫もいなくなってしまいフォンさんもとても落ち込んでいるようだった。おとなしくて人形のような2匹であにゃんの最初の友達だ。

何はともあれ1か月も預かってもらったことのお礼を言いたく今日フォンさんの家を訪ねた。今は家には白2姉妹のお母さん猫と、もう一匹他の友人から一時的に預かっている猫しかいないこと、あにゃんがとても大きくなっておりフォンさんにとてもなついていたこと、これまでも白猫は何回か脱走しているが数日後にひょこっと帰ってきたことがあるのであにゃんも帰ってくるかもしれないことなどフォンさんといろいろ話をした。

もしあにゃんが帰ってきたらすぐに迎えに来る。この度いなくなってしまったことはフォンさんのせいでは無いので気にしないでほしい。と伝え、フォンさんと別れた。

夜、久し振りに杭州の部屋に帰ってきた。猫だから脱走してしまうことは仕方無いし、またいつか帰ってくるに違いない。そして何より辛いのはフォンさんだろう。と思い、いなくなってしまったことは割り切っていたが、あにゃんと過ごした部屋や、使っていた薬を見て寂しさが沸いてきた。改めてあにゃんが自分に与えてくれていた温もりのようなものを感じ、それが無くなりぽっかりと心に穴が空いたような感覚を覚える。

今はきっと市内のアパート群のどこかをフラフラ歩いているんだろう。5か月なので体は大きくなっているので生存能力も高くなっているはずだ。ただ、餌は食べられているか、病気に感染しないか、車に轢かれないかなど心配は多く無事を祈るしかない。早く帰ってきてほしい。

2008年10月11日土曜日

名言

備忘録として、心に残った、自分に取り入れたいなと思う名言のタグを作ることにした。


「多数の友人を持つはひとりの友も持たず」

            アリストテレス

ついつい八方美人になってしまう自分にはがつんと来る一言だった。

2008年10月8日水曜日

一休さん

『一休さん』最終回にこんなフレーズがある。

一休さん:「修行の旅に出たいと思っています。」

母上:「そなたはどうして旅に出たいと?」

一休さん:「お寺の中の修行はどんなに苦しくても所詮は和尚さんに見守ら同じ仲間に助けられての修行です。そのうえ新衛門さんや将軍様にも可愛がられ、母上にもこうして会うことができます。これでは幸せすぎると思うのです。生意気かもしれませんが、一度自分だけの力で冷たい風にさらされて修行してみたいと思ったのです。長いこと考えました。でもようやく決心がついたのです。」


何が一休さんをそう動かしたのだろうか?分からないが、立派な僧になりたい。まだ見えていない新しい世界を見たい。あと一歩踏み出せば悟れるかもしれない。和尚さんからは学び尽くして、更なる師を探して道を求めたい。などと思っていたのだろうか。

どういう理由にしろ、幼いのに自分に厳しく修行の道を歩み成長をしようとし、そしてずっと年上である新衛門さんを号泣させれる一休さんのこの姿はかっこいい!と思う。大学のころの友人と先日東京で飲んだ時、大学のころと違いまだ何も達成感や意義を感じられずうずくまってしまっていることを嘆き、自分たちは今はまだ修行の時期だから明日を信じて頑張ろう。と、鼓舞しあったが、修行できてるな。と自覚できる毎日を送れるよう自分を律していきたい。

2008年10月7日火曜日

一か月ぶりの上海

昨日上海に到着した。広島空港からわずか2時間、実家を朝5時に出発し、日本時間11時には上海にいる自分が何か不思議で改めて「行ってみれば近い国」だなあと思う。

市内への空港バスの中、切符を点検する乗組員女性の粗いサービスを受けたり、煙たい空気を吸い込むなど、以前までは当たり前と思い馴染んでいたが、日本で手厚いサービスを受けまた徳島県の上勝町や佐賀県の諸富町など空気の澄んだ田舎町に滞在していたせいか、それらの日本との違いについつい敏感になってしまう。

到着と同時に少しマイナスな面ばかり気になったが、バスで市内に出ると車で溢れかえる道路、行きかうたくさんの人々、活気ある建設現場の風景から、上海独特のヒシヒシと湧き上がるようなエネルギーを街から感じるような気がする。市内には「上海万博まで後600日!」という看板が多く見られるようになっており、北京オリンピックが終わりこれからは万博へ向け準備が着々と進みそうだ。