2008年11月19日水曜日

二つのうれしい知らせ

母校の野球部がもしかしたら!?甲子園に初出場できるかもしれないというニュースを妹からメールで教えてもらった。

以下中国新聞より
21世紀枠宮原 県高野連が推薦
宮原は今秋の県大会で強豪を連破し、中国大会に初出場県高野連は、県内一狭いグラウンドや短い練習時間を乗り越えて好成績を収め、学業成績も優秀などを推薦理由としている。中国地方の推薦校は12月15日に中国地区の理事長会議で決定し、来年1月26日の選考委員会で甲子園出場の3校が決まる。


近年の宮原野球部の快挙については改めてじっくり書きたいが、これは本当に快挙だ!まだ出場が決まってないし、もしかしたら残念。ということもあるかもしれないが、この時期にこの出場の可能性を持てているということだけでも野球部史上前代未聞だ。果たしてどういう練習を積んだのか、部員一人一人がどういう心持ちで毎日練習をしているのか、彼らから学ぶことはとても多そうだ。高野連から「出場おめでとうございます!」という電話が宮原高校にかかってくることを祈りたい。

その朗報に続き、野球部で一緒に汗を流した球友からうれしい知らせが入った。

以下メールを勝手に転載
久しぶり!!最近どうですか?ちょっと報告ありましてメールしました。3月14日に結婚することが決まりました。場所は京都です。中国おるけんこれんのんかなとは思うんじゃけど、年明けくらいに実家に招待状送らせてもらいます!!

川口(のん君)とは高校三年間野球部で日々を共にした。野球部時代ののん君はノックではエラーが目立ち監督のカモになり徹底的に鍛えられることが多々、持久走では体力が続かずなかなか上がれないなどなど、楽しく練習を消化できずで一度は辞めそうになった。しかし持ち前の愚直でまじめな性格で、きつい練習に耐えどんどん上手くなっていった。彼の練習に挑む態度に自分も勇気づけられていた。高校卒業後は大学に進学し、一浪をした自分はのん君が通う大学へ進学することになり、大学も一緒といううれしい偶然で大学時代もたまに京都で会っていた。卒業後は、呉の音戸にある広島を代表するちりめん漁を営むの水産会社に跡取りとして入社し、毎朝4時前に起き、瀬戸内海でチリメン漁をしている。毎朝まじめに漁に出る姿は、毎朝まじめに朝練に遠い音戸からバスに乗り通っていたのん君の姿から想像できる。

のん君が結婚!何とも信じられない気持だけど、大学からつきあっていた彼女と結婚まで到達した成り行きについては呉に帰った時じっくり聞きたいと思う。3月14日京都になんとしても行きたいので、これから日程を調整していこうと思う。

「宮原高校おめでとう!」「のん君おめでとう!」この二つの「おめでとう!」が言える日がとても楽しみだ。

福井県小浜市の「オバマ候補を勝手に応援する会」について

福井県の小浜市で「オバマ候補を勝手に応援する会」を発案し、運営されている方にお会いする機会があった。「オバマ候補を勝手に応援する会」とはアメリカ大統領オバマ氏と小浜市の名前が一緒であることを巧みに使い小浜市を世界にPRしていこうという活動だ。

正直今年の6月この活動のことを小浜市のお知り合いの方から教えていただいた時は苦笑してしまい、そんな活動して意味があるのだろうか?と思ってしまった。しかし、今日実際にそのブームの火つけ人の方のお話、実際にこの活動を実施しての小浜市への効果を聞き、この活動はとても意義があるように思えた。

確かに一部ネットではそんな馬鹿けがことをという批判意見もあるが、オバマ氏が大統領であるこれから8年で小浜市は注目され続けていること。オバマ大統領と麻生首相との10分の電話会議の際小浜市にいつか訪問すると宣言したこと。オバマ氏が30分小浜市に来ることで20億の経済普及効果を発揮する可能性があること。オバマ氏関連グッツが小浜市のお土産として発売されていること。世界中の有名メディアが小浜市を取材し始めていること。スイングガールやウォーターボーイズのような映画化の可能性があること。などなど明るい話題で盛りだくさんだそうで、小浜市全体に良い影響を多く生みだしている。

地方活性化で代表的な先日訪問したただの葉っぱを2億円のビジネスに変えた徳島県の上勝町や、大分県で1970年代に実施された平松県知事の一村一品運動の本を読んだ時も感じたが、「何気ないアイデアを少しずつ大きくしていく」というひた向きな姿勢を今回の小浜市の活動からも感じらえる。MROBAMA(オバマ氏)⇔小浜市(おばまし)というただ発音が一緒という何気ないアイデアからスタートし、様々な知恵を絞ってアイデアを少しづつ大きく育て多くの人を巻き込み社会にインパクトを与えている。

今後の様々なビジョンを笑顔で明るく話されているアイデアの発案者の方の姿を目の前で見れ、ブームを作る渦潮の渦の中心を体感できた。そして、小浜市に見習い、何気ないことを何気ないことでとどめず頭を使ったひたむきは生き方をしていきたいと思った。今後の福井県小浜市の動きにも注目だ。お食事同席させていただきありがとうございました。

2008年11月17日月曜日

河南省の友人からのうれしい贈り物

今年の夏上海で河南省出身の莼(CHUN)という友人と知り合った。たまたま食べにいった上海の泰康路にあるタイ料理レストランがありそこでアルバイトをしていた時、とても丁寧に対応してくれ、いろいろ話をしたことが知り合ったきっかけだった。

お父さんがロシアで仕事をしていたそうで、本人も10歳までロシアに住んでいたため中国語は自分同様独特だが、ロシアの話や、信仰しているキリスト教の話、趣味でやっている作詞の話、河南省の少林寺の話などとてもおもしろく、上海にいる時は、一緒にセミナーに参加したり、杭州で遊んだり、仲良くしてもらっていた。

残念ながら大学に進学するため、夏のアルバイトを終え10月に河南省に帰ることになったが、連絡を取り合っていたら先日、「河南省の特産物がたくさんあるから送るよ!」と電話がかかってきた。少し申し訳なかったが、せっかくの気持ちなので贈ってもらうことにした。早速一箱の荷物が届き郵便局に荷物を取りにいった。

うれしい重みを感じつつ、家に帰ってダンボールを開けてみると中にはたくさんの河南省の特産物が入っていた。うれしい贈り物だ。これから少しづついただこうと思う。また、機会があれば河南省(特に少林寺)に行ってみたいと思う。

2008年11月8日土曜日

前澤友作氏

PODCASTの好きな番組『藤沢久美の社長トーク』の前澤友作氏のインタビューがとてもおもしろかった。ZOZOWALKERなどファッション関係のウェブサイトを運営する会社で昨年マザーズに上場も果たした社員の平均年齢が25歳という会社を経営されている社長さんだそうだ。

おっとりとした落ち着きのある声で、名刺に社長と書かないとか、心の無いお金はただの紙切れだと思うとか、今後は千葉県の地元の活性化に役立つ仕事をしたいとか、世の中の不の部分が無くなる社会システムを作りたいとか、言葉一つ一つに心が落ち着けられた。その後書かれているブログも一気に全部読んでガツガツ生きようとしていた自分を冷まされる感覚で体から力が抜けていくようだった。

大学時代や仕事を始めて、「世界に平和を!」とか「日中友好を!」とか「お客様に積極的に感謝しよう!」とか「社員の満足とは何か考えよう!」とか「四川地震に500万元を寄付しました!」とか「企業の社会的責任CSRがこれからの時代大切だと思います!」という「良い言葉」は日常で度々耳にしてきた。そして大抵良い言葉だなと感じる自分と同時に心のどこかでそんなこと言ってただ自分に有利に働かせようって打算で綺麗事言ってるだけじゃないの、理想ばっか掲げて。と少し斜めに構えてしまう自分がいた。今日前澤氏のインタビューとブログを見ていると、なぜ斜めに構えてしまっていたか理由が分かった気がする。

それは自分の今ある理想と現実の乖離から感じる焦りとか、自分にメリットがあるように物事を運びたいという私利私欲とか、ビジネスで成功したいっていう野心とか、まだ若いし経験も少ないから自信が無く目立たないところに隠れていようという羞恥心のような気持ちにまみれてしまって、自分の本当の正直な好奇心やいいなと思うことを第一に生きられていない、綺麗な言葉を綺麗事でしか使えない自分だったからだと思う。このインタビューを聞いてハッとしてしまったのはきっとそういうことだ。

前澤氏のインタビューやブログには「世界を変えたい」、「100年後どうなってほしい」と「綺麗事」がたくさん出てくる。ただ、本気に正直にそれを想い言葉にしているようで綺麗事に聞こえなかった。これからはちょっと思考を修正していこうと思う。そうなりたいって正直に想う自分の気持ちを強く抱き続けたい。そしたらそこからその気持ちが育ち自分でも鳥肌が立つようなビジョンが描けてそれに向かって生きれているような気がする。焦りや私利私欲や野心や羞恥心にまみれそうになったら、右手の人差し指を目の前にし、目を閉じて心を静め、好きなジブリ映画『ラピュタ』のワンシーンある飛行石の光がラピュタのある方角を示すように、自分の正直な気持ちはどこに向かっているか確認したい。

2008年11月2日日曜日

上海のナイトクラブ

大学時代、大分にある立命館アジア太平洋大学(APU)を見学しに行った時、食堂で中国人のファンファンという留学生と知り合った。そしてAPUの留学生の現状をいろいろ教えてもらい連絡先を交換した。だがその後これと言って話題も無く、距離も離れていて会うことはなかった。しかし最近ファンファンから「上海で働いているの?私も上海で働いているよ!」とメッセージをもらい早速大分以来の再会を上海で果たすことになった。

中国人だけどカナダ産まれでご両親は今でもカナダに住んでいる家族柄のため大学卒業後は得意の英語を駆使し上海にあるオランダ系の外資系銀行で仕事をしている。近頃は昨今の金融不安で毎日朝9時から夜遅くまで忙しい日々が続いているそうだ。再会の日は自分は温州へ行かなければならなかったので珈琲屋で1時間程話してまた今度会おう!ということで別れた。

そして昨日再び食事することになり再会した。ファンファンおすすめのおしゃれなバーへ行きお酒を飲みつつお互いのこれまでについてを中心に話した。その後ファンファンの会社の友人が別の場所でパーティをしているのでそちらへ合流し、しばらく過ごしさらに別の場所で別の友人が集まっているという情報が入り上海の中心地にある若者の人気スポットbabyfaceというクラブへ向かった。自分は毎週クラブへ通ってダンスをしたり、クラブミュージックをよく聴くという趣味はこれまで無くクラブにはごくたまにしか行かないのでbabyfaceに行くのも上海留学時代ぶりだった。

到着するとそこには中国人や色々な国の若者がごったがえしている。超満員のダンスホールの中を合流したファンファンの友人5人と共に入って行きテーブルをキープした。そしてお酒を飲み明け方まで大勢の人の波と音楽に身を任せ踊っていた。おもしろかったのは様々な人がそこに集まっていたことだ。ファンファン同様外資系銀行で働く中国人、上海の都市デザインの会社でインターンシップをしているオランダ人、韓国生まれでオランダへ留学してから上海で仕事をしている中国人、ABC(アメリカンボーンチャイニーズ)としてNYで生まれ現在は上海の大学でMBAの取得を目指している中国人、同じく上海でMBAを勉強中のドイツ人、大学で日本語を勉強し日本語がペラペラな中国人、中国語、つたない英語、日本語を使い、「日本生まれで上海に留学し中国で働いている日本人」としていろいろな背景を持った人と知り合うことができた。

音楽やダンス、お酒を飲むことを楽しむ以外にもクラブには出会いという楽しさもあることを知れたので、また機会があれば行ってみようと思う。上海のクラブで人気な曲「我愛台妹」(台湾の女の子が好き)は大好きな一曲だけど、この曲以外にもこれからいろんなクラブミュージックを聴いていきたい。また、上海の友人がヒップホップダンス教室に通っていてとても楽しいと言っていたのでチャンスがあれば時間を作って行ってみようかなと思う。そうしたら更にクラブを楽しむことができそうだ。楽しい上海の一夜だった。