2008年9月28日日曜日

徳島県~上勝町~


『葉っぱで2億円稼ぐおばあちゃんたち』の著書など、地方活性化事例で有名な徳島の上勝町の農家に週末三日間泊まり込みで農業体験をしてきた。上勝町のことは、上海で徳島出身のお知り合いの方と地方活性化の事例について情報交換していた際、この街おもしろいよ。と紹介していただいたことがきっかけで知りいつか行ってみたいと思っていたのでその念願が叶った。

3日間、農作業を手伝う代わりに宿と食事を提供していただけるというワーキングホリデー形式での滞在だった。食事は自分の畑で採った野菜や果物や上勝町産の食材を使い健康的で美味しく、景色は天上から滝が流れる灌頂ヶ滝や綺麗な星空、壮大な山々など自然に囲まれており、心が落ち着く町だなと思った。

また、農家の生活を体験できたことで、上勝町の実態が理解できたくさんの人と出会えた。そしてそこでこの度の滞在で最も心に残る上勝町を見ることができた。それは、「町民の方々の上勝町への帰属意識が高く、自分の町に誇りを持ちながら生活していること」だ。

滞在させていただいていた農家のご夫婦は上勝町の多くの家庭に設置されているICTという情報通信器具を巧みに使い、テレビに流される上勝町の紹介映像を見せながら自分達の町を次々と紹介してくれたり、時間があれば上勝のいい所をまるで我が子を自慢する親のようにうれしそうに教えてくれた。また、2020年までに上勝町のごみをゼロにすることを目指す、上勝町ごみゼロ(ゼロ・ウェイスト)宣言で30分別以上のゴミの分別を実現しており、町民一人一人が自分達の町を綺麗にしようとしている。社会起業家の重要性を強調されている田坂広志さんが、これからの時代、一人一人が世界に貢献していくボランタリー経済という考え方が重要となる。と話されていたが、この町では、町への誇りに支えられている町民の方々のボランティア精神が町のエネルギーとなっているようだった。

上勝町を眺めていると、帰属している人が誇りを持てるような組織っていいなと思った。家族、会社、野球チーム、学校、そして国家など様々な組織で、この組織はこれからもうダメかもしれない。と暗い絶望感を帯びた気持ちで毎日生きるのではなく、この組織にはこんなすばらしいところがあるからこれからみんなでもっと良くしていこうと、自分たちの長所を見抜き、その長所が自分にやる気やエネルギーを与えそこをとことん伸ばす好循環が起こっている組織が日本や世界にたくさんできるといい。

2008年9月25日木曜日

愛媛県~松山市~

愛媛大学で毎年開催されるプロテインアイランドを見学するため呉からフェリーに乗り、愛媛県の松山港を目指した。19時に到着し、プロテインの研究を続ける高校の野球部時代の同級生が待つ松山市内へ向かった。

初日の食事は松山の海鮮やお酒が楽しめる食楽酒家 炉辺人(ろべんと)というお店へ。愛媛の地酒や鯵の刺身、愛媛風味噌の味噌汁、愛媛のお茶づけ「ひゅーが飯」など堪能できるいいお店だった。

翌日、午前中は司馬遼太郎著の明治の日本を描いた『坂の上の雲』の主役、秋山兄弟、正岡子規が生まれ育った当時の松山のことをもっと知りたいという気持ちで、『坂の上の雲ミュージアム』へ向かった。世界で渡り合える日本を確立するために必死に生きた明治のエネルギーを感じられる場所だなと思った。

その後、プロテインアイランドを見学。(詳しくはこちら)「これからはタンパク質は注目されるよ!」と言う研究を続ける友人の言葉に魅かれ参加したが、医療部門での応用が増えていること、需要あって初めて開発を進めることができるため需要を見つけ出せる企業との連携が重要視されていること、食品分野への応用は少ないこと、愛媛県はタンパク質を使ったベンチャー企業が生まれることを渇望していることなど表面的なことを何となく分かり、100メートル先にあったプロテインという存在が90メートル先になったかなという感じだった。

学会後、明日の教授や学生向けに開催される学会の準備を終えた友人と合流し道後温泉に行く途中、今日学んだことをそのまま分かったような顔でプレゼンテーションしてみたが、友人はニヤニヤしながら聴きながら、「へー、それでそれで?」と言うだけだった。

夜、友人と別れ次は徳島を目指す。松山、また来たい街だ。

2008年9月8日月曜日

長崎県

中国からテレビ局のお客さんをアテンドするために長崎へ来ている。今日から、長崎、佐賀、大阪、和歌山、奈良、京都、静岡、東京と中国とゆかりのある日本の地を回り中国で放送するためのテレビ番組の撮影をしていく。(広島→長崎→長崎・平戸→佐賀→福岡→瀬戸内海フェリー→和歌山→大阪→奈良→滋賀→京都→静岡→東京→広島)

長崎は初めて来たが、情緒ある街並みが広がっていて好きになりそうだ。街には広島と同じく路面電車が走っており、オランダや中国から影響を受けている建物や施設があちらこちらにある。昨日は駅から路面電車で15分ほど走ったところにある平和公園へ行ってきた。63年前の8月9日に投下された原子爆弾で亡くなった方々が祀られている。

これから、長崎歴史博物館、興福寺、中華街、平戸資料館、などを巡る。今では平和な街並のこの街がこれまで辿ってきた壮絶な歴史をこの訪問を機に知りたいという気持ちで地図や資料を片手に歩いてみようと思う。

明日から各都市の中国から伝わった仏教、茶道、伝説を中国のテレビ局の人と追う12日間の旅が始まる。日本の知らない所に行け、大変勉強になりそうだ。

            

2008年9月6日土曜日

広島市民球場

来年から広島東洋カープの本拠地は、広島市民球場から広島駅横の新球場に移転する。そのため広島市民球場とは今年でお別れだ。どうしても最後にカープ戦を見たいと思い市民球場へ行ってきた。

土曜日に観戦しようと思っていたが、最後の市民球場+クライマックスシリーズ生き残りをかけての終盤戦ということでチケットは完売だったので今日金曜日にすることにした。今日のチケットも完売間近だったがなんとか一緒に観戦したけいすけのお母さんに購入してもらい広島市内へ向かった。

球場の入り口には長蛇の列。最後尾に並び入口に向かった。広島市民球場に入った瞬間に目の前に広がる景色はなんとも気持ちを高揚させられる。グランドで繰り広げられている阪神のバッティング練習を見ながら座席を確保し、カープの守備練習、阪神の守備練習が終わり両チームのスタメンが発表されプレーボールが近づく。緊張感が増すグラウンドを眺めながら、幼稚園や小学校、中学校のころ父親と観戦にきた思い出が頭をよぎり、その思い出の球場とお別れかと思うと何か感情的になった。

ゲームは、カープ打線が好調、初回から4点、序盤にも追加点を入れ快勝だった。カープが得点するたびに、「宮島さんの神主が、おみくじひいて申すには、今日のカープは勝ーち勝ーち勝っち勝ち♪」とライトスタンドは大盛り上がりだった。

試合後は一緒に見に行ったけいすけのお勧めのお好み焼屋へ。炭火焼きそば入りお好み焼きがとてもおいしかった。広島満喫のいい夜だった。

2008年9月1日月曜日

上海~大阪フェリー


今回の帰国は初めてフェリー蘇州号を使うことにした。学生のころからいつか日本に船で帰ってみたいと思っていたが、ちょうど上海留学時代の友人が上海からフェリーで帰るので、その彼と一緒に48時間を語りながら過ごしてみたいと思い。また、最近愛読している『坂の上の雲』に出てくる今自分が生きている平和で豊かな日本という国の基礎を作ってくれた明治時代の日本人が壮絶な戦いを繰り広げた日本の海域を眺めてみたい。と言う気持ちが重なりチケットを購入するに至った。

午前10時、上海港へ向かい手続きを済ませ船に乗り込んだ。夏休み最終日ということもあり、子供づれの家族、日本人旅行者、欧米人旅行者、研修のため日本に行く中国人などチケットはほとんど売れているようだった。

上海を出発すると同時に目の前に広がる、東方明珠、森ビルなど巨大都市上海の高層ビルなど遠のいていく上海を眺めた。中国独特の黄土色の河を日本に向けて進んでいき、長江に合流ししばらくすると、海に出て景色は海の紺色にかわった。

持ち込んだカップラーメンを食べ、旅行者と雑談をし、読書をし、夕方になるとデッキに出て目の前に広がる地平線に沈んでいく太陽を眺めた。出発から9時間、今は寝床でこの日記を書いている。残り39時間、友人と語り、景色を眺め、読書をし、これから踏み出す次のステップをじっくり考えたい。日本に帰るのは今年の3月以来5カ月ぶりなので、家族に会えるのが楽しみだ。