2009年10月8日木曜日

ブログ移行のお知らせ

中国からアクセスできなくなってしまったのでこちらに引越しします。

alangalang4
http://d.hatena.ne.jp/kouchan612/

あとこちらでも記事を書いています。
http://d.hatena.ne.jp/SanRenXin/

2009年8月2日日曜日

最近はじめたこと

googleブログが6月末ごろから中国からアクセスできなくなりしばらく更新できなかった。今後もアクセスできそうにないので、新しいブログに移行しようかと思う。

日々新しいことにトライできる自分でいたいという気持ちがインセンティブになり、最近いろいろなことを始めている。野球、サッカー、フットサル、語学学習(中国語、英語)、簿記2級、ギター。

それぞれ効果が出ている。野球とサッカー、フットサルは、身体を定期的に動かした方が自分生活のリズムが取りやすく、良い気分転換になる。野球は高校まで部活で、大学ではサークルでやっていた。サッカー、フットサルは本格的に練習したことはないが、球技は全般に得意なのでわりとこなせる気がする。しかし経験者に比べておぼつかないプレーが多いのと、組織的な動きがまだできていないので、技術を習得したい。

語学学習は朝の学習時間を有効活用している。毎週月曜日英語、金曜日中国語で、7時~8時半まで出勤前の90分マンツーマンで中国人の先生から教えてもらっている。中国語はビジネスで難なく使えるように、英語はGMATの合格点を目指せるようにし、自分のできることを増やしていければと思う。

簿記2級は3級を受講してとてもためになったと思ったので続けて上海の簿記学校に通うことにした。木曜日19時30分~22時、日曜日13時30分~16時、週二回の授業で簿記2級をマスターし、財務的側面から事業を分析できるようになれればと思う。

ギターは、大学のころからいつかキャンプ場でキャンプファイヤーでもしながらギター片手に唄いたいというイメージしていたところちょうどギターを日本語で教えてくれる中国人の先生に出会い毎週一回60分の授業を受けることにした。7月一ヶ月で5つのコードと音階が弾けるようになり、少しずつ楽しくなってきた。今は月亮代表我的心という曲を弾けるよう日々気が向いたらギターを手に取る日々だ。

野球、中国語はわりとこれまで時間を使っているのでスイスイ進める感じだ。しかしサッカー、フットサル、英語、簿記2級、ギターやまだまだ初心者でやっている時楽しくないことの方が多い、しかし継続をすることで自分のできることを増やしていき楽しさを感じられるようになれればと思う。

2009年6月14日日曜日

三つの誓い~26歳の誕生日~

26歳になった。中国では誕生日にケーキをカットする前に三つの誓い(三点目は発表しないで心の中で祈る。)をみんなの前でする。留学時代にこの風習を知ってから自分の誕生日でも、友人の誕生日でも誓いをするようにしている。結婚式でもそうだが、友人の前で何かを誓うことは、友人がその発言の証人となってくれるということだ。

26歳の三つの誓いは以下三点。

①「食と飲料を通じた社会貢献」というこれまで育んできた志をさらに大きく育み、心を定めて歩んでゆく。

②同僚でも上司でも部下でも、男でも女でも、中国人でも日本人でも、他人にも身内にも、誰に対してもいつでもどこでも誠実な態度で向き合い、誰に対しても正々堂々と自分の意見を主張できる人になる。

③( )


是非このブログを見てくれている人で僕が途中ぶれてるなと思ったら友として、証人として忠告してほしい。このように宣言して宣言を守り通すこと、守れてなく忠告を受けることが自分にとっての成長になる。

自分は誕生日の日の23時過ぎ、兵庫県の田舎の小さい病院でビルの谷間の風の音がヒューヒュー鳴る中生まれたらしい。田舎の病院だったためか、26年前の医療のレベルからか分からないが、生まれるまでは女の子だと思われていたそうで、名前はゆり子にしようと思っていたらしい。26歳の誕生日に初めて誕生秘話を母から聞け、もしもゆり子だったら今頃自分は何をしているんだろうか。と不思議な気持ちになった。

25年は計算してみると=9125日だった。9125日と考えるととても短いように感じるが、一日一日の積み重ねで今の自分がいる。これからも一日一日が将来の自分を確立させていく。一日一生の決心で、今日と言う日に全力を尽くしながら生き抜いていきたい。

2009年6月7日日曜日

本棚のある生活

「図書館のような部屋に住みたい。」と、本を好んで読むようになってから思い描いていた。思い描いてからウェブ上の架空の本棚を使ったり、大学時代の教授の本に囲まれた研究室を思い出したり、ドラえもんのワンシーンに出てくるある博士の部屋の壁すべてが本棚の知的な空間をカメラに納めたり、おしゃれなカフェで施されている本棚のデザインを絵に描いたりと、良いなと思った本との空間を記憶しておき自分ならではの本との空間のイメージし少しずつ増やしていっていた。

そして、3月の引越しの際、本棚が作れるということを条件の一つに大家さんのアーイと交渉した結果、木材を購入し、手作りで壁一面を覆う本棚を作るという契約を取り付け、念願叶って本棚のある部屋を実現することできた。

完成し、本をジャンルごとに並べてみるとこれまで読んだ後はばらばらになっていた記憶がすっきりするような感覚を覚え、また、自分はどのジャンルを多く読み、どのジャンルを避けているかという自分の読書の癖が分かったり、全体的にまだまだボリューム不足のようなのでこれからももっと読んでいかなければと更なる読書欲に駆られることができた。

本には、作者の人生における思考や行動など努力の結果が凝縮されているものが多い。特に所謂良書と言われる一冊は、こんな情報が約1000円で読めてしまって良いのかとすら思える。本棚は作ったものの、まだまだ図書館のような部屋にはほど遠いので、自分の歩む道を示してくれるような座右の一冊をこれからも探していき、本と共に成長していきたいと思う。

2009年5月28日木曜日

端午節 ~山東省潍坊へ~

夜家に帰ると、テーブルに粽(ちまき)が三つ置いてあった。中華レストランで働いたことがあり料理が上手な大家のアーイが作ってくれたものだった。中国はで今日5月28日が旧暦の農暦5月5日にあたり端午節と言われ縁起を担いで粽を食べる。アーイが作ってくれた粽は餅米と小豆が良くマッチし、さらに包みの葉っぱの風味がほのかに餅米にしみ込み日本のおにぎりとはまたひと味違うおいしい料理だった。アーイに感謝だ。

この端午節の休みを利用し明日から山東省潍坊へ足を伸ばしてみる。先日河南省鄭州に尋ねた友人がCHUNと潍坊で合流しさらに潍坊の友人と合流し短い時間であるが潍坊を散策する予定だ。ウェブで調べて見る限りでは、潍坊も高層ビルが建ち並び、発展目まぐるしく、また、7000年前の新石器時代のころから人類が生活していた土地のため、歴史的建造物もたくさんあるようだ。視野が広がる旅行になれば良いと思う。


大きな地図で見る


【端午節について】
(端午の節句の起源は文字通りで、端はことの始まりを意味し、午は陰の反義語で、太陽を表し夏の始まりを意味します。5月は別名百毒月ともいわれ、この頃は丁度二十四節季の夏至に当たり気温も上昇し、蚊や蝿が繁殖し、人も病気になり易いので、病気に注意をしなさいと言う警告もあったようです。香りの強い菖蒲(しょうぶ)や、よもぎの葉を家の前に飾るのも、これらの病や邪悪なものを避ける為のお払いのようなものです。また、この日は戦国時代の偉大な愛国の詩人屈原の命日です。屈原は楚の国の大臣でしたが、ある時、楚の国の王の前で秦の国の主張に抵抗し団結するよう述べた為、口の上手な家来の誹謗と迫害に遭い、追放されてしまいました。屈原が追放されている間に、秦に攻められ楚の国が滅びてしまい、これを聞いた屈原は嘆き悲しみ、汨羅江(現在の湖北省にある河)に投身自殺してしまいました。これを知った農民たちはもち米を竹筒に入れ、あの世でも空腹にならないようにと河につぎつぎに投げ入れたそうで、これが「粽」の始まりです。また、竜舟競漕(日本にもあるドラゴンボートレース)は農民たちが、次から次へと舟を漕いで屈原の遺体を捜そうと競ったことが起源です。《参照HP》http://www.allchinainfo.com/culture/holiday/duanwujie.shtml

2009年5月24日日曜日

【映画】『南京!南京!』~上海日本人向け上映会~

南京大虐殺を題材にした中国人監督陸川監督http://www.c-c-club.net/director/luchan.htmにより制作された中国映画「南京!南京!」http://j.people.com.cn/94478/96695/6642806.htmlの日本人向け上映会に参加してきた。

1937年12月の日本軍による南京侵略から始まる2時間20分の作品は、中国人捕虜の大量殺害、従軍慰安婦の強制徴用などの生々しい歴史を中心に、最後は生きていくのは死んでいくより難しいと感じた主演の日本兵が捕虜を逃がし自殺し、生かされた中国人は自由を手に入れ微笑んで歩いていく風景が描かれていた。

上映後知り合いの留学生が大きな問題すぎて感想はまだ口に出せない。と言っていたが、正直自分も映画を見終えてすぐはその意見に同感で、陸川監督との対談では終始他の観衆が陸川監督に向ける質問を聴くことしかできなかった。無理して感想を口にできるような簡単問題じゃないが、自分なりの見解を持っておくべき内容だと思うのでブログに書いていく。

映画の中で次々と命を奪い奪われていくシーンから、生きる喜び、生きる悲しみ、死ぬ悲しみ、中国人が日本人に悪いイメージを抱く理由、戦争の悲惨さ、約70年前の1937年と比べ比べものにならないくらい平和な中国で自分は今生活していること、死ぬより生きることの方が難しいかもしれないこと、など改めて考えされてくれた。

中でも戦争の悲惨さについて改めて認識することができた。人類における最大の競争は戦争であり、皮肉な結果ではあるが科学は戦争の度に飛躍的に発展してきている。しかし同時に多くの犠牲者を出す戦争は人類最大の敵だと言えるだろう。

陸川監督もウェブ上のインタビューで「戦争がいかに人の魂をコントロールするかということ。戦争が起こる前には必ず文化によって戦争の執行者への洗脳が行われる。精神の絶対的なコントロールと占領こそが戦争の本質です。戦争の核心的結果は、異なる民族の文化を被侵略者の廃墟の上で踊らせることです。」と語っている。

この戦争という過去から、僕たち世代は人間の究極の目標は無限の発展ではなくて限りなく平等に近い形での人類の共存であることを認識すべきだ。他人の敗北ありきの勝利ではなく、皆が負けない、個人、国家を越えて世界的なスケールで人類の幸福を追求することが最大の命題だろう。

最後に、日本兵を美化しすぎではないか。日本では上映禁止になるのではないか。などという日本、中国からの批判の声が予想されるなか、当作品を4年間かけて作り上げ正々堂々と世の中で表現している陸川監督に敬意を表したい。

また、当企画を「中国、中国人に対する理解を深める一助にしたい」想いで実行に移した上海の大学に留学している学生の皆さんに感謝だ。中国で南京大虐殺という非常に敏感なテーマで数百名を集めて企画を実行するには相当な勇気と実行力、計画力、団結力が必要だったと思う。この上映会のおかげで、自分も二次情報ではなく、一次情報としてこの作品を見る機会を与えてもらえた。自分の目でこの作品を見れ、考える機会ができて本当によかった。

2009年5月10日日曜日

母の日~日本へ届くカーネーション~

母の日、何かできないかと思っていたところ、簿記講座の同じクラスの方から、上海→日本へカーネーションが届けられるサービスをwww.hanaaya-sh/comを教えてもらい利用してみたところ、わずか24時間で上海から広島にカーネーションを届けることができ大変驚いた!

上海で注文を受け、すぐに日本全国に広がっている加盟店ネットワークの届け先の一番近い花屋さんに発注をかけ翌日に日本の届け先届けることができるという事業内容のこの花屋さんは、母の日以外にも各種冠婚葬祭、記念日に対応しているそうである。

送り終わった後、翌日の母のうれしそうな顔や驚いた顔を想像したり、国境関係無く花が届けられたうれしさや、オフィスに広がるとても良い花の香りや丁寧なサービスから利用後大変良い気持ちになれ、ビジネスをするならこんな風に人を気持ちよくすることをやりたいと思えた。

母から本日無事花が届いたと連絡がもらえた。素敵なサービスを展開するwww.hanaaya-sh/comさんに感謝感謝。日本人にとっては日本より住みにくい上海生活、しかし、先日書いた簿記講座しかり、今日のカーネーション発送サービスしかり、住みにくいからこそ生まれるいろいろなサービスこれからもどのようなものが生まれるのか注目しておきたい。「人間のニーズを感じ、才能と情熱を発揮して自らの良心に応えるビジネス」を体感できた、そんな母の日だった。


(写真は最近の外灘)