2008年2月22日金曜日

友人の結婚式(2008年2月11日)

小学校からの幼馴染、けいすけが結婚するので、実家の広島に帰った。けいすけとは、小学校のソフトボールチームの同僚で、中学校まで一緒に野球をし、その後も時間があっては時を共にしてきた。結婚秒読みであることは知っていたが、メールをもらって改めて、ついに結婚か。と感慨深い気持ちになった。奥さんとは学生時代から知り合いで、バレンタインデーには義理チョコをいただいていた仲だ。けいすけの家族ともソフトボールチームのころから親しくしているので、喜んでいる姿が想像できた。

結婚報告のメールが来た時、仕事の都合をつけて日本に帰れるかな?と少し不安だったが、人生に一回の小学校からの球友けいすけを祝いという気持ちで、「任せて!」と勢いに任せて返信メールを送った。その後のメールで、「遠く中国から来てもらうけぇ是非見せ場をと…っつーのは冗談で、真面目に忙しいのは承知なんやけど、スピーチを頼めないか?」と言ううれしい頼みごとをされなんとしても広島に帰って結婚式に出席しようと予定を立てた。

結婚式前日、スピーチ同様中学校時代の同級生と余興を頼まれていたのでその作戦会議兼、飲み会を開いた。広島駅に大阪や出張先から戻ってくる友人を車で迎えに行き、総勢7名のけいすけの友人が集まった。余興で何をするか決まっていなかったので、とりあえずドンキホーテに豊富に揃う余興グッツを見ながらイメージを広げようと買出しに行った。結局、けいすけは自分でガチャピンに似ていると言っていたことを理由にガチャピンの着ぐるみ(3900円×7着)ガチャピンのマスク(900円×1枚)を購入し、地元の居酒屋に向かった。(この着ぐるみ7着はそれぞれの家で冬季の寝間着になっているだろう)

居酒屋ではガチャピンの着ぐるみを横に置き、さて、、何する?としばしアイデアを絞った。結果、この着ぐるみを着て、小学校のころの野球チームの名前がガッツだったため、行進して入場し、ウルフルズの『ガッツだぜ』をエアーバンドで演奏しよう。とアイデアがどんどん膨らんでいき、みんな翌日の大爆笑をイメージしつつ午前2時ごろ解散した。

夜中帰宅し、余興の行進用のプラカードを夜更しして映画を見ていた父にも手伝ってもらい作り(プラカードの持つところが紅白になっている)、その他必要な小道具を揃えていった。そしてその一方で、上海からの飛行機で考えたスピーチの最後の練習を進めていった。

結婚式当日、父からのお下がりのスーツに今日はブレザーとセットのベストと、胸ポケットにはネクタイとおそろいのハンカチを入れ、10時からのチャペルに向かった。けいすけの男らしい後姿とご家族のうれしそうな表情、そして奥さんのあやこさんの涙ぐむ姿を見て自分もぐっとくるものを感じた。花びらをバージンロードのけいすけ、あやこさんに放ち、無事チャペルは終了した。

そして披露宴、学生時代この場でバイトをしていたことが2人の出会いのきかっけということもあり、現場を熟知している2人らしい工夫が凝らされた披露宴だった。式が着々と進み、新郎友人代表からのスピーチが回ってきた。実は、式が始まってから緊張のあまり目の前のご馳走ものどを通らず、スピーチのイメージトレーニングと原稿を読み直していた。

名前を呼ばれ、前に向かった。原稿を読みながらでは何か面白みが無いので原稿無しでスピーチすることにした。けいすけとは小学校からよく喧嘩をしたけど翌日には仲直りをした思い出話、口下手だけど誠意を行動で示すところが自分は大好きであること。けいすけのお母さんは上海までわざわざ呉の情報誌を送ってくださる優しい人であること。奥さんにはけいすけと付き合っていた学生時代バレンタインのチョコレートをもらったのでその奥さんが結婚することは正直嫉妬してしまうこと。ただ、けいすけのことは好きなので、けいすけとあやこさんで幸せな家族を創ってほしい。という内容にした。満足してもらえたかは分からないが、自分のおめでとうの気持ちをけいすけ、あやこさんに、会場の皆さんに伝えたつもりだ。

そして会は進み、次は余興のため、外に出て衣装チェンジを始めた。ガチャピン7頭とガチャピンのマスクの指揮者1人、奇妙な集団が緊張の中会場外で出番を待った。そして本番、沸く会場を横目に元気良く会場にプラカードを無理やり持たされたけいすけのかわいい弟ゆうきを先頭に行進で入場し、ガチャピンの格好して『ザ・ドラえもんズ』と言い張るエアーバンドチームは精一杯の演奏をした。反応は、、まあスベッていたとの声もあるが、けいすけ、あやこさんは喜んでくれただろう。けいすけからは、スベッていたかは置いておいて、その頑張りが嬉しかったよ。と温かい言葉をもらえた。

実は、スピーチ前の緊張感からか、前日のハードスケジュールからかで何か身体がおかしい。と思っていた。スピーチを終えて、余興を終えて、緊張感が一気に開放されたとたん体調がおかしくなっていった。式が終わるころにいよいよめまいのようなものを感じはじめていた。本当なら2次会にも駆けつけ、ガチャピンの着ぐるみを着てけいすけを祝たい気持ちだったが、2次会からはホテルのソファーで一人ダウンしてしまった。体調はいよいよ悪くなってしまい、そのままソファーで横になっていた(ホテルの方々には迷惑をかけてしまった)2次会が終わり、けいすけや友人が探しにきてくれ、けいすけに最後におめでとうと言い、そのまま同級生のお父さん(ソフトボールチームのコーチ)に車で病院に運ばれた。なんとそれから高熱に魘され、入院をしてしまった。

入院をしたのは初めてだったが、入院中は、新婚旅行にでかけているけいすけ夫婦、けいすけママからの電話やメール、同級生の見舞い、たまたま看護士をしていた高校時代の野球部の後輩との会話、上海への帰国が延期となったため上海の友人のフォロー、家族の助けなど多くの人にお世話になった。2日間入院し、上海に戻る日程も延期させ、なんとか回復した。

体調を崩してしまい2次会から参加できずけいすけ、あやこさんには申し訳けなかったが、帰国して参加して本当によかったと思えるすばらしい結婚式だった。自分はまだ結婚をしていないので、結婚生活がどういうものなのか、なかなか想像できないが、けいすけらしい、温かい家族をあやこさんと築いていってもらいたいものだ。


                         2008年2月