2009年5月28日木曜日

端午節 ~山東省潍坊へ~

夜家に帰ると、テーブルに粽(ちまき)が三つ置いてあった。中華レストランで働いたことがあり料理が上手な大家のアーイが作ってくれたものだった。中国はで今日5月28日が旧暦の農暦5月5日にあたり端午節と言われ縁起を担いで粽を食べる。アーイが作ってくれた粽は餅米と小豆が良くマッチし、さらに包みの葉っぱの風味がほのかに餅米にしみ込み日本のおにぎりとはまたひと味違うおいしい料理だった。アーイに感謝だ。

この端午節の休みを利用し明日から山東省潍坊へ足を伸ばしてみる。先日河南省鄭州に尋ねた友人がCHUNと潍坊で合流しさらに潍坊の友人と合流し短い時間であるが潍坊を散策する予定だ。ウェブで調べて見る限りでは、潍坊も高層ビルが建ち並び、発展目まぐるしく、また、7000年前の新石器時代のころから人類が生活していた土地のため、歴史的建造物もたくさんあるようだ。視野が広がる旅行になれば良いと思う。


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【端午節について】
(端午の節句の起源は文字通りで、端はことの始まりを意味し、午は陰の反義語で、太陽を表し夏の始まりを意味します。5月は別名百毒月ともいわれ、この頃は丁度二十四節季の夏至に当たり気温も上昇し、蚊や蝿が繁殖し、人も病気になり易いので、病気に注意をしなさいと言う警告もあったようです。香りの強い菖蒲(しょうぶ)や、よもぎの葉を家の前に飾るのも、これらの病や邪悪なものを避ける為のお払いのようなものです。また、この日は戦国時代の偉大な愛国の詩人屈原の命日です。屈原は楚の国の大臣でしたが、ある時、楚の国の王の前で秦の国の主張に抵抗し団結するよう述べた為、口の上手な家来の誹謗と迫害に遭い、追放されてしまいました。屈原が追放されている間に、秦に攻められ楚の国が滅びてしまい、これを聞いた屈原は嘆き悲しみ、汨羅江(現在の湖北省にある河)に投身自殺してしまいました。これを知った農民たちはもち米を竹筒に入れ、あの世でも空腹にならないようにと河につぎつぎに投げ入れたそうで、これが「粽」の始まりです。また、竜舟競漕(日本にもあるドラゴンボートレース)は農民たちが、次から次へと舟を漕いで屈原の遺体を捜そうと競ったことが起源です。《参照HP》http://www.allchinainfo.com/culture/holiday/duanwujie.shtml

2009年5月24日日曜日

【映画】『南京!南京!』~上海日本人向け上映会~

南京大虐殺を題材にした中国人監督陸川監督http://www.c-c-club.net/director/luchan.htmにより制作された中国映画「南京!南京!」http://j.people.com.cn/94478/96695/6642806.htmlの日本人向け上映会に参加してきた。

1937年12月の日本軍による南京侵略から始まる2時間20分の作品は、中国人捕虜の大量殺害、従軍慰安婦の強制徴用などの生々しい歴史を中心に、最後は生きていくのは死んでいくより難しいと感じた主演の日本兵が捕虜を逃がし自殺し、生かされた中国人は自由を手に入れ微笑んで歩いていく風景が描かれていた。

上映後知り合いの留学生が大きな問題すぎて感想はまだ口に出せない。と言っていたが、正直自分も映画を見終えてすぐはその意見に同感で、陸川監督との対談では終始他の観衆が陸川監督に向ける質問を聴くことしかできなかった。無理して感想を口にできるような簡単問題じゃないが、自分なりの見解を持っておくべき内容だと思うのでブログに書いていく。

映画の中で次々と命を奪い奪われていくシーンから、生きる喜び、生きる悲しみ、死ぬ悲しみ、中国人が日本人に悪いイメージを抱く理由、戦争の悲惨さ、約70年前の1937年と比べ比べものにならないくらい平和な中国で自分は今生活していること、死ぬより生きることの方が難しいかもしれないこと、など改めて考えされてくれた。

中でも戦争の悲惨さについて改めて認識することができた。人類における最大の競争は戦争であり、皮肉な結果ではあるが科学は戦争の度に飛躍的に発展してきている。しかし同時に多くの犠牲者を出す戦争は人類最大の敵だと言えるだろう。

陸川監督もウェブ上のインタビューで「戦争がいかに人の魂をコントロールするかということ。戦争が起こる前には必ず文化によって戦争の執行者への洗脳が行われる。精神の絶対的なコントロールと占領こそが戦争の本質です。戦争の核心的結果は、異なる民族の文化を被侵略者の廃墟の上で踊らせることです。」と語っている。

この戦争という過去から、僕たち世代は人間の究極の目標は無限の発展ではなくて限りなく平等に近い形での人類の共存であることを認識すべきだ。他人の敗北ありきの勝利ではなく、皆が負けない、個人、国家を越えて世界的なスケールで人類の幸福を追求することが最大の命題だろう。

最後に、日本兵を美化しすぎではないか。日本では上映禁止になるのではないか。などという日本、中国からの批判の声が予想されるなか、当作品を4年間かけて作り上げ正々堂々と世の中で表現している陸川監督に敬意を表したい。

また、当企画を「中国、中国人に対する理解を深める一助にしたい」想いで実行に移した上海の大学に留学している学生の皆さんに感謝だ。中国で南京大虐殺という非常に敏感なテーマで数百名を集めて企画を実行するには相当な勇気と実行力、計画力、団結力が必要だったと思う。この上映会のおかげで、自分も二次情報ではなく、一次情報としてこの作品を見る機会を与えてもらえた。自分の目でこの作品を見れ、考える機会ができて本当によかった。

2009年5月10日日曜日

母の日~日本へ届くカーネーション~

母の日、何かできないかと思っていたところ、簿記講座の同じクラスの方から、上海→日本へカーネーションが届けられるサービスをwww.hanaaya-sh/comを教えてもらい利用してみたところ、わずか24時間で上海から広島にカーネーションを届けることができ大変驚いた!

上海で注文を受け、すぐに日本全国に広がっている加盟店ネットワークの届け先の一番近い花屋さんに発注をかけ翌日に日本の届け先届けることができるという事業内容のこの花屋さんは、母の日以外にも各種冠婚葬祭、記念日に対応しているそうである。

送り終わった後、翌日の母のうれしそうな顔や驚いた顔を想像したり、国境関係無く花が届けられたうれしさや、オフィスに広がるとても良い花の香りや丁寧なサービスから利用後大変良い気持ちになれ、ビジネスをするならこんな風に人を気持ちよくすることをやりたいと思えた。

母から本日無事花が届いたと連絡がもらえた。素敵なサービスを展開するwww.hanaaya-sh/comさんに感謝感謝。日本人にとっては日本より住みにくい上海生活、しかし、先日書いた簿記講座しかり、今日のカーネーション発送サービスしかり、住みにくいからこそ生まれるいろいろなサービスこれからもどのようなものが生まれるのか注目しておきたい。「人間のニーズを感じ、才能と情熱を発揮して自らの良心に応えるビジネス」を体感できた、そんな母の日だった。


(写真は最近の外灘)

2009年5月3日日曜日

河南省鄭州市~黄河を眺めながら馬に乗る~

河南省鄭州市から上海に帰ってきた。初めていった鄭州は少林寺、黄河、市内、開発区鄭東新区等々見所満載でとても興味深い都市だった。心に残ったことを箇条書きで書いていこうと思う。

上海からのアクセス
中国の新幹線、「和諧号」で7時間で行くことができる。車内はとても清潔で、広大な景色を眺めながら充実の時間を過ごすことができた。全国に広がる「和諧号」でこれから更に中国国内の移動が便利になりそうだ。

黄河
河南省の北部は黄河の下流域に位置しているので中国に住み3年ついに黄河を見ることができた。それも馬に乗りながら眺められ、パカパカと進む馬に揺られ、広大な黄河を眺めていると、改めて中国に来たんだなぁと実感させてもらえた。








嵩山(すうざん)少林寺
市内からバスで約2時間、インドから中国に渡来した達磨による禅の発祥の地と伝えられる曹洞宗の寺で少林武術の中心地としても世界的に有名なところだ。少林寺と言えば、少林サッカー等テレビの世界のものだったが実際に武術をしている姿を目の前にし、鍛錬することで人間がここまでできるのかと感じることができた。坊主頭の修行僧の表情や身体には無駄がなく研ぎ澄まされていると言う感じだった。真剣な姿からエネルギーをもらったような気持ちになれた。

市内
副省級市とされている市内は大変賑やかでビルが建ち並び、世界中の様々な商品の広告が繰り広げられていて巨大消費地であることが実感できた。町中にポイ捨てが目立ったのが残念だったが、歩く若者はファッションに気を使っているように思えた。日本料理屋もいくつかあり、混み合った回転寿司屋から日本料理を食べる人もこれからもっと増えてくるように思う。

また圧巻だったのは、旧市街の東部(鄭東地区)の新都市建設だった。日本人建築家の故黒川紀章氏の立案でできた街は50万人規模の都市を目指し創られ毎晩噴水のショーが繰りひろげられる。この建築にあたり、故黒川紀章氏は鄭州の人々に大変感謝しているそうで、噴水ショーを見ていると隣で見ていた中国人がこれは日本人による黒川氏により創られたんだと話していた。都市内の高層ビル郡には世界中の企業が入居しているそうで、いつかここで働くチャンスをつかんでみたいと思えた。



鄭州の友人
上海で知り合ったチュンと旅をすることができた。2日間つきっきりで一緒に行動してくれ、今後のことなど語り合うことができた。今朝4時、帰りの電車に乗ってから「天下没有不散的宴席」(「この世に終わらない宴席はない」)というメールを送ってくれた。本当にこの言葉通り、別れが惜しく感じる時間を過ごすことができた。

旅行に行く前のイメージと行って現実に地を見て大きくイメージを覆された。中国内陸部と聞くとあまり発展していないようなイメージを抱いてしまうが、全くそんなことがなく、目の前に広がった鄭州は少林寺のような昔からの伝統も保持しつつも、国際的な、近代的な街に変貌を続けている巨大都市だった。休みを利用し、鄭州の実情を知ることができ良い旅になった。

2009年5月1日金曜日

上海で簿記講座

3月末~上海で開講されている簿記講座に通っている。日本の大手資格学校で講師をされていた方が開いた学校で、毎週火曜日の19:30~22:00と土曜日の10:00~12:30、日本人が多い古北エリアの教室へ自転車で通い授業を受ける。

簿記を勉強したいと思った理由は、数字に基づいた考え方ができるようになりたいという気持ちからだ。例えば日経新聞に出ている企業の当年度の財務諸表を見てこれまではなんとなく業績が良いのか、悪くなったのか眺めていただけだったが、数字なので嘘をつけず業績を如実に示すと言われている財務諸表の数字から次の動きや企業の中で繰り広げられていた物語が分かるようになればと思う。

たまたまその学校の本棚に置いてあった勝間和代著『年収10倍アップ勉強法』に簿記の効用が書いてあり参考になった。(本文を抜粋)
まずは仕分けレベルでしっかりと簿記がわかり、企業会計原則が分かることが重要。試験委員が少しくらい問題をひねったとしても、しっかり問題に対応できるだけの会計学が必要です。それには、簿記の基礎訓練をやるのが、遠回りのようで、実は一番の近道なのです。それがわかると、財務諸表分析でも、原価計算でも、応用である経済学でも、短期間で学ぶことができます。とにかく、会計学に限らず、何かの分野を学ぶ時には、基礎訓練をひたすらやることをお勧めします。

仕事のいろいろな活動を金銭的価値で測定し、その結果をもって、利害関係者の意志決定に役立てよう
というもの。ビジネス言語とも言われます。言語の単語に当たる仕訳の数をどれだけ覚えているか、理論的に借方と貸方、貸借対照表と損益計算書がどうつながっていて、それらが何を表すために存在しているのか、ということさえ覚えておけば、そのあとの応用編である、財務分析にも、監査にも、管理会計にも、対応できるようになります。


会計の基礎の簿記、分からないところは作らずしっかりとした基礎を築きたいと思う。学校に通うのは大学で通関士の勉強をしていた以来だ。簿記くらい自分で勉強すればと言われることもあるが、学校行くから得られる強制力やモチベーションを得ることができている。火曜日は22時までの授業なので、中学校時代に塾に通っているような気持ちだ。7月まで通い続け、会計のレベルを高めていきたい。